被災地から少し離れた場所の東日本大震災…。影響と異様な光景

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店員Kです!

東日本大震災…。
当時はとても驚いたものです。
未だにその影響に苦しむ方も多く、
大きな爪跡を残すものになってしまいました…。

…今回の記事では、この東日本大震災当時の
私の勤務先の状況や、その対応、
いつもと違う、周囲の異様な状況などを語っていきたいと思います。

私の場合は、直接の被災地ではありませんでしたが、
それでも大きな影響を受けました。

あのときのことを、忘れずに、
今後に生かしていくためにも、綴っておきたいと思います。

東日本大震災とは?

2011年3月11日に発生した三陸沖を震源とするM9の地震です。
それにより、津波が発生し、多くの被害が出てしまいました。
また、原子力発電所のトラブルをはじめ、多くの余震や、
関連する地震(茨城や静岡、長野などでも地震が起きています)など、
近年の地震災害の中でももっとも大規模な影響を与えた
災害となっています。

未だに、このときの余震といわれる地震も時々、発生しており、
その規模の大きさが伺えます。

東日本大震災による影響

身近にどのような影響があったか、ということには
あまり触れられていないような気がします。
なので、今回はその点を語っていこうと思います

当時、私は、子供向けのカードやゲームなどを販売する店舗に、
当時、アルバイトスタッフとして勤務していました。

当時、私が居た場所は、直接の被災地ではありませんでしたが、
地震の際はそこそこ揺れもありましたし、
そのあとの影響に関しても、いつもとは違う異様な雰囲気を
感じるぐらいに、多くの影響が出ていました。

もちろん、被災地の皆様の苦労や、その影響とは比べ物に
なりませんし、比べるようなものですらありません。

…が、直接の被災地でなかった場所にもこのような影響が
あった、ということを書き残して置きたいと思います。
あまり話題にならないことですが、これも大事なことだと
思いますから…。

直接の被害を受けた場所に関しては、既に多くの方が
語られていますので、”直接の被災地でない場所”のことを
この記事では書いていきます。

当日のこと…

まず、3月11日当日。
私は週5回でアルバイトのシフトを入れていましたが
当日はちょうど休みだったので、自宅に居ました。
休日ならではののんびりとした時間を送っていたわけです。

が…その地震はやってきました。

震源に近い地方に比べたら全然震度としては
低いものだったのですが、それでも私が今までに経験したことの
無い揺れでした。

最初は定番の頭を守れる場所に居たのですが
この地震はいつもの地震(よくある震度2とか3とか)ではない!
ということで、家の外に出ました。

そのときは近所の方も、大勢家の外に出て来ていました。
幸い、建物の外は、都会と言うわけでもないので、
ビルとかがあるわけではなく、落ち着いていれば
身の安全などを確保できるレベルではありました。

震源地のマグニチュードが9の地震ですから
そのエネルギーは凄まじく、なかなかゆれが止むことは無く、
普段耳にしないような恐ろしい音
(地震で揺れていることによる音ですね)
が聞こえていました。

・・・そして、数分後、ようやく揺れが止まり、
今度は家の中に戻ってテレビで情報を確認しました。
当時のテレビも混乱していたようで、
情報が錯綜していたのを覚えています。

家の中のものは、倒れているものも多くありました。
特に、2階だとか3階だとか、そのあたりに関しては
酷い状況だったのを覚えています。

そして…余震。
すぐに余震がやってきました。
小さいものから、最初の地震と似たような規模のものまで。

本震の数十分後に茨城でも大きな地震が起きており、
そのときも外に避難しました。
本当に、恐怖を感じましたね…。

その日の様子は…?

その日は余震が頻発して、何をするにも落ち着かない状況でした。
テレビの番組は全てが東日本大震災関連。
まだ名前も定まらず、色々な名称がついていたのを覚えています。

加えて、今では絶対に放送されない、
津波の中継も行われており、本当に恐怖を感じました…
(当時は、津波が流れてくる映像が、ヘリコプターの中継で
テレビに流れてしまっていました)

休日気分もなくなりましたし、食欲も無くなりました。
それほど凄まじいものがありました。
もちろん、被災地の方はそれ以上です。
ですが、少し離れた場所でも異様な感じでした。

それだけ、大きな災害だったということです。

職場はどうなった?

翌日からは普通に仕事がありました。
聞いた話によれば、当日は早めにお店を閉めたようです。
と、言うのも交通機関の混乱が発生しており、
お店を続けると、帰宅できないアルバイトスタッフさんなどが居たこと、
会社本部から、今日は早めに閉めて良いという指示が飛んだこと。

これらの理由からお店を閉めたみたいですね。

地震の際には、商品がいくつか落ちたようですが、
それ以上の被害はありませんでした。

計画停電…

電力供給が不足し、計画停電が行われました。
私も計画停電を2~3回経験しました。

それにしても…電気が一切ない生活って
あそこまで不便だったのですね…。
普段何気なく使っているもの、
普段何気なくやっていることができなくなる、というのは
なかなか恐ろしいものがありました。

自宅に居た際に、外に出てみたのですが(夜だった)
いつもとは違う、不気味な暗さでした。
何気なく感じている夜も、街頭のおかげでだいぶ明るかった。
それを強く実感しましたね。

月の光ですら、明るく感じるぐらいに、暗闇でした。

バイト中も一度計画停電になりました。
この際には、店の営業を一時停止して、
店長と、内部の作業をやっていました。
仕事も、電気が無いと出来なくなってしまうのですから、
電気は大切ですね。。

流通に混乱が生じて…

流通にも影響が出来ました。
あの日の数日後、休憩時間にコンビニに行ったのですが
ほとんど何も食品が残っていませんでした。
直接の被災地でもないに関わらず、です。
流通の混乱…
普段どれほど見えない場所で支えられているかよく分かりました。。

コンビニ行って、当たり前のように商品を購入できるということが
どれほどありがたいことか…
そういう普段考えないことを、本当に考えるきっかけになりました…

牛丼屋にも「米が品切れのため、米モノは提供できない」なんて
貼紙が貼ってありましたし、
買いだめパニックまで起きて、トイレットペーパーもお店から
姿を消していたぐらいです。

私の当時のバイト先も、お客様の予約商品が届かなかったりと、
流通に大きな混乱が生じていました。

報道も…

テレビの報道は、ほぼ全てが東日本大震災関係。
中には不満を言う人も居たみたいですが、これは当然の対応かと思います。

緊急地震速報もよく鳴っていて、本当に嫌な感じでしたね…。

また、CMすらもなくなり、
ACのCMばかりが流れていました。
当時、テレビを見ていた方には記憶に残っているかと思います。

当初は報道する側も、対応がまちまちで、中継で、
津波の映像が流れていたりするところもあれば、
地震の名称もバラバラで、報道関係の方も混乱している様子が
見受けられました。

まとめ

直接の被災地以外でも、いつもと違う、
このような影響が起きていました。
何もないコンビニだとか、米のない牛丼屋だとか、
トイレットペーパーの無いスーパーだとか、そんなものを
見たのは始めてでした。

被災地からある程度の距離があっても、この状態なのですし、
色々なところで言われている通り、未だにその影響を受けている
地域もあり、それだけ規模の大きさが伺えます。

未然に防ぐことはできませんが、
あの時の光景を忘れずに、少しでも日ごろから備えたり、
知識を身に付けておくことが大切だと思いますし、
私もそうしたいと思います。