携帯ゲーム機の一つ「ワンダースワン」は
1999年に発売されたゲーム機で、
当時のバンダイから発売された商品です。
そんな、ワンダースワンは
任天堂以外のゲーム機の中ではかなり売れた部類で、
300万台以上の売上を記録していますが、
(これは、任天堂の携帯ゲーム機を除くと、PSPやVitaの次ぐらいに
国内では売れている部類の数字になります)
それでも、やはり任天堂の携帯ゲーム機の牙城を
崩すには至りませんでした。
では、ワンダースワンはどうして
大ヒットには至らなかったのでしょうか。
この点を振り返りつつ、分析していきたいと思います。
ワンダースワンとは?
バンダイから1999年に発売された携帯ゲーム機で、
定価4800円という非常に安価な価格設定であったのも
特徴的なハードです。
当時、カラー表示の携帯ゲーム機も登場している中で、
コストなどの面からモノクロ画面を採用して登場、
当初はそれなりに注目を集め、
当時としては”任天堂の次にヒットしている携帯ゲーム機”として
展開されていました。
ただ、任天堂が当時展開していたゲームボーイや
ゲームボーイアドバンスには及ばず、
1999年~2003年で市場から姿を消す結果となってしまいました。
(※それでも、長く持った方であるのは確かです)
では、ヒットはしたものの”大ヒット”には届かなかった理由には
どのような理由があるのでしょうか。
これらについて、見ていきましょう。
モノクロで発売してしまった
ワンダースワンは1999年の初代モデルの発売当初、
”モノクロ画面”の携帯ゲーム機として
発売していました。
これが、あと数年早ければその判断も
間違ってはいなかったのですが、
1999年当時は既に、携帯ゲーム機は”カラー”が中心に
なりつつあり、
前年の1998年には任天堂から
”ゲームボーイカラー”が発売されている状態でした。
コストの問題などからモノクロ画面を選んだとされていますが
最終的に考えると、この判断が後の”カラーへの切り替え問題”も
起こしてしまったという結果になりますし、
結果論で見ると、売上的には判断ミスとなってしまったと
言えるかと思います。
”価格”の面では多少優位性はありましたが
ワンダースワン発売直後にゲームボーイカラーも
8900円⇒6800円に値下げされ、
価格差が縮まってしまったこともあり、
余計に苦戦を強いられる結果となってしまいました。
もしも、”最初からカラーで発売することができていれば”
ワンダースワンの結果も少しだけ異なる結果に
なっていた可能性も十分にあるのではないかと思います。、
すぐにカラーを発売してしまった
これも、ワンダースワンのヒットを邪魔してしまう
結果になった要素の一つで、ワンダースワン発売から
約1年半後の2000年12月には
「ワンダースワンカラー」を発売しました。
新型モデルが、最初のモデル発売後の
1年~2年程度で発売されること自体は
そこまで珍しいわけでもありませんが、
ここで問題だったのが
”ワンダースワンカラー専用ソフト”を
大量に発売してしまい、
”最初のワンダースワンを買った人を
すぐに切り離してしまったこと”ですね。

当然、最初にワンダースワンを買った人からすれば
「え?何でカラーだけ?」と不満に思うのも
無理はないでしょうし、
早い段階で初期モデルを切り捨てる選択をしてしまったことも、
ワンダースワンの失速の原因になったと考えられます。
これが、最初からカラーを発売していたり、
あるいは、後からカラーを発売しても、
初期のワンダースワンでちゃんと
”後に発売されたソフトも全て遊べるように”
していれば、こういった不満などは出にくくなったのではないかと
思います。
競合機が「強すぎ」だった
ゲーム機の市場では、よく起こることではありますが
”競合機が強すぎる”状態の場合、
多少の売上を記録できても、それに飲み込まれてしまったり、
あるいは早期に市場から姿を消す結果になってしまうことも
よくあることです。
この時期の携帯ゲーム機の市場は
プレイステーションこそ、まだ携帯ゲーム機に参入していませんでしたが、
”任天堂”の携帯ゲーム機が”圧倒的”と言える強さで市場に君臨している状態で、
ワンダースワン発売当時には
”ゲームボーイ”が大ヒットを記録していました。
ワンダースワンの前年には「ゲームボーイカラー」も登場し、
ワンダースワンが登場した時点で既に
”圧倒的な強さのライバルに戦いを挑む”という形になってしまっていて、
そもそも無謀な一面もある挑戦であったのは確かです。
それに加えて、任天堂から2001年に
ゲームボーイアドバンスが発売されてしまい、
それがトドメの決定打となった形となり、
ワンダースワンは2003年には事実上の撤退状態となりました。
特にゲームボーイアドバンスが発売された2001年春は、
ワンダースワンカラーが発売された直後で
”今、これを買うならゲームボーイアドバンスを買おう”と
消費者がそういう心理になってしまうタイミングでもあり、
特に、先ほども書いたように初期のワンダースワンを買ってしまい、
すぐに切替されてしまったことで、不満を抱くユーザーからは
なお、そういう風に思われたと考えられます。
このように、”競合機が強すぎた”上に、
途中でその競合機の後継機も発売されてしまった、ということは
ワンダースワンにとっては非常に大きな打撃となったと言えます。
ソフトラインナップも苦戦の要因に
ワンダースワンはそれなりにソフトも
発売はされていましたが、
それでも、ゲームボーイと比べるとソフト数は少なく、
また”人気シリーズ”のタイトルも不足している状態でした。
加えて、ワンダースワン自体を展開していたバンダイは
アニメ系のゲームは豊富でしたが、
自社の大人気タイトルをあまり持っておらず、
マリオやポケモンなど、当時でもすでに多数の人気タイトルを
抱えていた任天堂とは違い、
”自社タイトルの脆さ”も苦戦の要因となりました。
例えば、任天堂であれば
他社タイトルが仮になくても
”ポケモンの最新作”を発売して本体を引っ張るようなことも
できますが、
バンダイの場合はそこまでの大きな影響力を持つ
シリーズを抱えていなかったため、
どうしても他社の力も、かなり必要となり
そこも苦しい部分の一つになりました。
価格面はよかった
ゲーム機は”価格が高額すぎて躓く”ケースが結構多く、
特に国内市場においては、それは非常に多いパターンであるのも確かです。
が、ワンダースワンは当初のモデルが4800円、
ワンダースワンカラーも6800円と価格も抑えており、
この点は、展開としては”良い展開”だったと言えます。
だからこそ、モノクロであったり、ソフトの数が不足気味であっても、
300万台以上の売上を記録できたのだと思いますし、
逆にワンダースワンが1万円を超えていたりすれば、
この売上は大きく減少することになっていた可能性も
十分に考えられます。
それほどまでに、”価格”は
特に国内市場では大事になる要素であり、
現代でもプレイステーション5が価格面で
国内では伸び悩むなど、”価格による苦戦”は
繰り返されています。
まとめ
ワンダースワンは、最初からカラーで発売したり、
あるいはモノクロの初期モデルの切り捨てを
しないように注意しながら展開したりしていれば、
その後の結果は異なっていたかもしれません。
とは言え、任天堂以外の携帯ゲーム機の中では
十分に売れた方であるのも事実で、
市場でも一定の存在感を残すことができたハードでした。
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