ゲームキューブの売上が伸びなかった理由は?徹底分析!

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「ゲームキューブ」は
2001年に任天堂から発売された据置型のゲーム機です。

ファミコン、スーパーファミコン、NINTENDO64に続く
4代目の据え置きハードになりますね。

しかし、このゲームキューブは名作とされるソフトは
それなりに多く出て居ましたが、
任天堂の歴代据置ハードを見ると、
現在のニンテンドースイッチまでで、
”下から2番目”の売上と、苦戦したハードのひとつと
なってしまいました。

では、ゲームキューブの売上が思う以上に
伸びなかった理由にはどのような理由が
あるのでしょうか。
この点について解説していきます。

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「価格以外の部分」が原因

ゲーム機の”伸び悩み”の原因の一つとして多いのが
”ハード自体が高額であること”です。
実際に過去のハードを見て見ても、
伸び悩んだハードの多くは”価格”面に問題の一角が
あることも多いのですが、
ゲームキューブに関しては発売当初から25000円と、
当時としては平均的な価格で、別に
極端に高いわけではありませんでした。

例えばPS3の初期や、PS5などが価格の高さも
一因となって伸び悩んでいたり、
”前のモデル”よりも値段が上がって伸び悩んだ「ゲームボーイミクロ」や、
通常モデルよりも高額なことも伸び悩みの一因となった「PSPgo」など、
過去に振るわなかったハードの多くは
”理由の一つに価格”が含まれていることが多いのです。

しかし、ゲームキューブに関しては
競合機と比較しても、特に高額ではなく、
前の世代と比較しても高額ではなかったために
価格以外の部分に理由がある、ということになります。

では、その理由は何だったのでしょうか。

競合機が非常に強く、しかも出遅れた

ゲームキューブの当時は、
2000年に発売された”プレイステーション2”が
据置ハード市場のトップを独走している状態で、
既にゲームキューブ発売時には
”強力な市場”が出来上がってしまっていました。

加えて、PS2の発売から1年以上が経過して、
競合機が非常に強力な市場を築き上げているタイミングで
発売されたために”出遅れ”の状態になってしまっていたのも事実です。

PS2と同時期に発売できていれば、結果は
もう少し違ったかもしれませんが、
相手が強力+出遅れによって、かなり厳しい状況からの
スタートになってしまったことは否めないハードでした。

特にプレイステーション2は、国内市場では
最近のプレイステーションよりも圧倒的な強さを誇っているハードで、
この時代は客観的に見れば誰もが「PS2がトップ」と認めるしかないぐらいの
強さだったために、ゲームキューブからしてみれば”相手が悪い”という
状況でもありました。

国内市場で言えば、今のニンテンドースイッチ一強のような状態と
同じようなものだったのです。
競合機が強ければ強いほど、当然”同じ時代に存在する他のゲーム機”に
とっては苦戦を強いられることになりますし、
ゲームキューブもそういう状態であったのは事実です。

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目新しさがなかった

任天堂ハードと言えば、WiiのWiiリモコンなどによる
直感的操作や、switchの据え置きでも携帯ゲーム機としても
仕える仕組み、
DSの2画面などなど、色々な”目新しさ”がありました。

しかし、ゲームキューブはデザインこそ特徴的なものの、
ゲーム機としては”ふつう”で、特に目新しいことは
ありませんでした。
任天堂のゲーム機としては初めてのディスクでしたし、
メモリーカードなどが使われたのもこれが初めてでしたが、
それは既に競合他社のゲーム機で行われていることであり、
スペック面もPS2などと大きく変わるわけではなかったため、
既にPS2が出てから1年以上が経過しているタイミングで
”普通のゲーム機が出て来た”という状況になってしまっていました。

当時のPS2は、まだ当時あまり普及していなかった「DVD」の再生機能搭載など
目新しさも兼ね備えていましたし、
このDVDの再生機能も、かなり差がつく部分になったかと思います。

勿論、別にDVDの再生機能が必要だったわけではありませんが、
PS2に関してはDVDプレイヤーとしての需要もあり、
それも普及を後押ししました。

しかし、ゲームキューブには「DVD再生機能がない代わりにこれがある!」というものが
残念ながらなく、
かと言って、同じ任天堂ハードのWiiやswitchのような”大きな特徴もない”と
なると、やはりなかなか厳しい部分があったことは否めません。

ソフトが不足してしまっていた

任天堂ハードの一番大事な要素は
”任天堂自体のソフト”で、これに関しては
比較的カバーできていた印象ではありますが、
(N64の時は序盤にソフトを出せなかったので、
それを考えると、N64の時の反省点を生かせていたとは思います)
しかし、それでも他社からのソフトがなかなか発売されず、
全体的なソフトが少ないまま、ズルズルと進んでしまった感じも
否めないのが、事実です。

先程も書いたように、この時代は
既にプレイステーション2が一強のような時代に
なってしまっていて、
ソフトもかなり売れている状態でしたので、
”わざわざ”特に目新しい特徴もないゲームキューブにソフトを
出す必要がなくなってしまい、
他メーカーのソフトがPS2にかなり集中してしまったことも、
ゲームキューブが伸び悩んだ理由の一つになったかと思います。

今のように”複数の機種に同時発売”も、
今ほど当たり前のような時代ではなかったこともあり、
よりソフトが出にくい状況であったのは確かです。

N64の苦戦を引きずった感じも

任天堂は、ファミコン、スーパーファミコンと
大ヒットを記録してきましたが、
3代目の据え置きハードにあたる「NINTENDO64」では
一転して苦戦を強いられました。

ゲームキューブは、その流れをズルズルと
引きずってしまった感じもあり、
結局のところは”同じような状況”を2度繰り返してしまったような、
そんな状況になってしまったのも事実です。

本体の売上の数字だけ見れば、
NINTENDO64よりもさらに落ちていることから、
ゲームキューブの苦戦ぶりが伺えます。

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後に繋がる部分はあった

ゲームキューブは苦戦を強いられましたが、
任天堂がゲームキューブの次に発売した「Wii」では
大ヒットを収め、競合機のPS3を抜き、その世代のトップシェアに
立ちました。

Wiiでは、ゲーム人口の拡大を掲げて、
ゲームキューブにはなかった”個性”の演出に成功しましたし、
ゲームキューブと互換性を持たせることで、
”苦戦したハードのソフト”という遺産の再利用にも成功しました。
評価の高いソフトは多かっただけに、これもWiiの勢いに
貢献した要素の一つと言えるでしょう。

また、コントローラーの評価は高く
”ゲームキューブコントローラー”は、
後継機のWii、WiiU、ニンテンドースイッチでも使われることが
あるほどに、長い間活躍を見せています。

Wii以降の任天堂ハードの流れは
ゲームキューブの苦戦が無ければ無かったかもしれませんし、
そのままスペック競争に飛び込んでしまっていたかもしれません。

そういった意味ではゲームキューブの苦戦も
”無駄ではなかった”と、言えるかとは思います。

まとめ

私自身もゲームキューブを持っていて、当時も遊んでいましたし、
いいハードなのですが、
売上面を考えると苦戦していたのは事実ですし
”個性”がデザイン以外の部分であまり見られないのもまた事実では
ありました。

当時は特に、PS2が圧倒的に強かった、というのもありましたし、
色々上手く行かないハードであったのは事実です。

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