光速船が流行らなかった理由とは?価格・同世代の競合機など色々な原因アリ!

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「光速船」は、1983年7月に発売された
ゲーム機で、バンダイから発売されたゲーム機です。

しかし、この光速船は、
残念ながら日本国内ではヒットを記録することが出来ず、
数字としては海外でも、厳しい状況に終わってしまいました。

日本国内では大ヒットした任天堂のゲーム機
”ファミコン”と、同日発売だったこともあり、
売上的にはかなり苦しい結果に終わっています。

では、この光速船はどうして流行らなかったのでしょうか。

この点について解説していきます。

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そもそも、どんなゲーム機なの?

「光速船」と言われても、
それがどんなゲーム機なのか
パッと頭の中に浮かぶ人は
正直なところ、そんなにいないと思います。

既に、発売されてから相当な年月が
経過してしまっていますし、
国内での流通数もファミコンなどと比べると
圧倒的に少ないため、
既に”実物の光速船”を見ることも難しい状態です。

最大の特徴としては9インチの
ブラウン管テレビのような形状のモニターと
一体化している、ということで、
テレビに繋いで遊ぶわけではなく、
そのモニターに画面を表示して遊ぶゲーム機となっています。
(※テレビに接続して遊ぶことはできません)

そのため、据置ゲーム機かどうか?と言われると
少し微妙なところですが、
かと言って、モニターのサイズが(ゲーム機としては)
大きいこともあり、携帯ゲーム機として使うこともできず、
なかなか癖のあるゲーム機が、この光速船と呼ばれるゲーム機でした。

この特徴についてもそうですが、
光速船がなかなか普及しなかったのには、
これ以外にも理由が存在しています。

その理由たちも含めて、見ていきましょう。

価格が高額すぎた

ゲーム機は”価格設定”が非常に重要で、
国内のゲーム機市場において、
5万円以上の価格設定のハードがトップに立ったことは
今のところありません。

また、光速船よりもはるかに後の時代にはなりますが、
PS1・PS2で圧倒的シェアを誇っていたプレイステーションも
PS3の発売時に非常に高額な価格設定をしてしまい、失敗、
競合の任天堂のゲーム機「Wii」にトップの座を明け渡すことになりました。

また、現時点での最新ハードの「プレイステーション5」も
やはり高額で普及には鈍りが見えている状態です。

光速船の価格は
「54800円」となっており、
当時の水準で考えると”非常に高額な価格設定”であるだけではなく、
現代の水準で見ても”ゲーム機としては高すぎる”状態で、
この価格が非常に大きなネックとなってしまいました。

ゲーム機は、国内では特に”価格が高すぎる”と、
普及が極端に鈍ることが多く、
価格面の問題で普及に苦戦したハードは
光速船に限らず、これまでにも多く発売されていました。

プレイステーション3やプレイステーション5もそうですし、
携帯ゲーム機としては比較的高額だったニンテンドー3DSも
出だしで躓き、発売から1年もしないうちに大幅値下げを
することになった…など、
価格は国内のゲーム機市場において、非常に重要な要素の
一つとなっているのです。

光速船はこの部分で非常に大きく躓くことになってしまいました。

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ファミコンが強すぎた

光速船が発売された”1983年7月”は、ある意味最悪なタイミングと言え、
この1983年7月とは任天堂の「ファミコン」が発売された月でもあります。

ファミコンは、それまで国内であまり大きく広がっていなかった
家庭用ゲーム機の市場を大きく広げた存在で、
圧倒的な売上を記録したハードでした。

当時、このファミコンに多くのゲーム機が”圧倒的な差をつけられて完敗”
している状態で、光速船に関しても、
そのファミコンに飲み込まれてしまった…ということは
否めません。

しかも、前述の通り光速船は54800円という
非常に高価格となっていましたが、
ファミコンは14800円であり、
とても太刀打ちできる価格設定ではありませんでした。

後に知名度も、ソフト数でも大きく差がつき、
+4万円を出して、わざわざマイナーなほうを買う人など
当然、世の中にはほとんどいませんので、
非常に大きく苦戦することになりました。

ファミコンがもしも存在していない世界線でも、
価格的に大ヒットは難しかったと思いますし、
さらにそこに、”ファミコン”という存在があったために、
短期間のうちに市場から姿を消すことになってしまいました。

大型すぎる本体

光速船は本体自体にモニターがついているという
特殊なハードであるが故に、
そのサイズが非常に大きく、
据置ゲーム機としても非常に大きなゲーム機と
なってしまっていました。

現在でこそ、据置ハードもある程度大型化していますが
それと比べても光速船は大きく、
さらには持ち運びにもかなり不便なサイズであったが故に、
これも普及を鈍らせた要因の一つであると考えられます。

時代背景を考えると、
今のようにネット販売が普及しているわけではない時代でしたから、
光速船を買った場合、お店から家に持ち帰る必要があり、
こういった点も購入に対する心理的ハードは
当然高まったでしょうし、
それに加えて、当時の家庭用ゲーム機は
今よりも小さい(特にファミコンは)ものであったために、
余計に大きく見えたのではないかと考えられます。

また、光速船を買って自宅に設置するとなると、
”テレビ(小型)”が1個増えるような勢いで
スペースを取るために、この点も大きなハードルに
なっていたものと思われます。

いずれにせよ、”テレビ代わりのモニターがセットになっているゲーム機”は、
他にほとんど見受けられませんから、
そういった意味でも”このやり方”は、家庭用ゲーム機としては
ユーザーにあまり受け入れられなかった…、と、
いうことになるかと思います。

需要があれば、光速船のようなタイプのゲーム機も
その後に続いているとは思いますが
そういったものはなく、
それが”答え”を明確に示しているかと思います。

ソフトも少ない

ソフト自体も少なく、
当時のゲーム機はそれぞれ、そんなに多くのゲームソフトが
出ているわけではありませんでしたが、
丁度、同じ時期に発売されたファミコンは
発売当初からそれなりにソフトが存在していただけではなく、
他メーカーの参入もどんどん拡大して、ソフト数も圧倒的な
数に膨れ上がりました。

時間が経過すればするほど、ファミコンで遊べるソフトの数と、
光速船で遊べるソフトの数には差がつく一方で、
結果的にそれも光速船にとっては非常に大きな打撃となりました。

ゲーム機は”遊ぶソフト”がなければ
ファミコンだろうと光速船だろうと、
最新のゲーム機であろうと、どれも”箱”でしかありません。

ソフトが無ければ、本体は売れない…。

これは、今も昔も同じことで
光速船に関して言えば
本体の価格は高い、ゲーム機としてのテーマも一般的には浸透しないものだった、
さらにはソフト不足と、
苦しい要素が完全に揃ってしまっており、
そういった点も、国内でも海外でも
幅広く浸透することができなかった大きな要素と言えます。

特に、価格とファミコンと同時期の発売だったことは
かなり手痛い部分となってしまっていました。
(ソフト数はハードが最初にある程度勢いに乗れば
 後から増える可能性もありますがこの価格では
 最初から勢いに乗るのは難しいですからね…)

まとめ

光速船は、
ゲーム機としては非常に高額であったことや、
ウリとなっている部分が上手く流行らなかったこと、
そして、ファミコンと同時期に発売されたことなど、
複数の”苦戦ポイント”が積み重なり、あっという間に
市場から姿を消してしまう結果となりました。

ただ、流行るかどうかは別とすれば
こういう”かなり特殊なスタイルのゲーム機”が存在しているのも
なかなか面白いとは思います。

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