カセットビジョンは、
エポック社から展開されていた家庭用ゲーム機で、
任天堂の「ファミコン」が登場する以前から
日本国内で展開、
当時はまだ任天堂のゲーム機もプレイステーションも、XBOXも
存在していなかった時代であったため
カセットビジョンは一時的に日本のゲーム機市場の
トップに立っていました。
しかし、そんなエポック社のゲーム機は
早い段階でゲーム機業界の競争から脱落し、
現在ではエポック社の家庭用ゲーム機の存在を
知っている人も少ないかと思います。
では、エポック社の家庭用ゲーム機は
どうして最終的に失敗に終わってしまったのか
その点を見ていきたいと思います。
カセットビジョンシリーズを展開
エポック社は、”カセットビジョン”という名前の
ゲーム機を展開しており、
1981年に「カセットビジョン」を発売しました。
これは最終的に45万台程度売れています。
45万台、と言うと現代の家庭用ゲーム機の
売上水準で考えると
”かなり低い”数字ではありますが、
カセットビジョン発売当時はまだ、日本国内で
家庭用ゲーム機の市場が育っておらず
(任天堂もソニーもマイクロソフトも当然参入していませんでした)
そのため、この当時はカセットビジョンが
国内のゲーム機の売上ではトップに立っていました。
その後、2年後の1983年には任天堂が
家庭用ゲーム機に本格的に参入、”ファミコン”が発売され、
ゲーム機業界のトップから転落することになりました。
ただ、エポック社もそこでは終わらず、
1984年には後継機である「スーパーカセットビジョン」を
発売し、しばらくの間は任天堂・セガ・エポック社が
当時のゲーム機を展開していました。
スーパーカセットビジョンが最後のハードに
カセットビジョンでは一時期、家庭用ゲーム機の
市場のトップに立ったエポック社でしたが、
2代目にあたる「スーパーカセットビジョン」で、
ゲーム機からは撤退することになり、
以降、家庭用ゲーム機は発売していません。
(現在もエポック社自体は玩具などで存続しています)
スーパーカセットビジョンも約30万台の売上は記録しましたが、
ファミコンの売上があまりにも圧倒的で、
セガ共々苦戦する結果となり、
最終的にスーパーカセットビジョンを最後に
エポック社はゲーム機から撤退しました。
セガの方はSG-1000シリーズの展開をしていましたが
これも苦戦、ただ、この時点では撤退せずに
「セガマークⅢ」を発売、
任天堂のハードの人気は変わらず圧倒的ではありましたが、
その後、セガは「メガドライブ」⇒「セガサターン」⇒「ドリームキャスト」
(他に携帯ゲーム機のゲームギアも発売)を展開し、
2000年前後まで、家庭用ゲーム機を展開していました。
(セガもドリームキャストを最後にゲーム機からは撤退しています)
この頃、国内のゲーム機市場のシェアを争っていたメーカーで
今もゲーム機を展開しているのは任天堂だけですが、
セガもエポック社も、会社自体は現在でも残っていますね。
では、スーパーカセットビジョンでどうして
撤退することになってしまったのか、
その点を見ていきましょう。
ファミコンが強すぎた
まず、スーパーカセットビジョン云々以前に
競合相手の”ファミコン”があまりにも強すぎたことが
最大の理由になるかと思います。
ファミコンの売上は当時の家庭用ゲーム機としては
”異常”と言えるほどに高いもので、
ソフトも次第に多く集まるようになり、
”ゲーム機は任天堂一強”の状態でした。
この状況は、スーパーファミコンの代まで続き、
プレイステーション1やセガサターンが出て来るまでは
”競合機はあっても、全く相手になっていない状態”が
続いていました。
スーパーカセットビジョンに限らず、
この後、様々なメーカーがゲーム機を発売していますが
いずれもファミコンには太刀打ちできず、
撤退するメーカーもあれば、
根強くゲーム機を展開したものの、一度もトップに立つことは
できないまま、というメーカーもあるなど、
とにかく、任天堂ハードが強い時代でした。
”特定のハードが圧倒的に強い”状況だと
他のハードはなかなか話題にもならず、ソフトも増えず…
という形になり、”競合が異様に強いこと”は
スーパーカセットビジョンにとって、大きなダメージとなったはずです。
性能差があった
元々カセットビジョンはファミコンと比べても性能は低く、
後継機のスーパーカセットビジョンも、ファミコンと比べると
そのスペックは低いモノでした。
当初はファミコンも単純なソフトが多かったですが
次第に”スーパーカセットビジョンでは作れないようなゲーム”も大量に
登場するようになり、その差は開いていく一方になってしまいました。
また、セガも”セガマークⅢ”を発売し、
スーパーカセットビジョンと比べると高い性能を持つゲーム機を展開、
スペック競争に追い付くことができなかったのも、
スーパーカセットビジョンの敗因の一つになっています。
(今はともかく、当時はスペックがどんどん進化していく時代であったため、
最近のswitchやWiiとは、また訳が違いました)
ソフトラインナップの差
スーパーカセットビジョンのソフトは
全部で30タイトルと、ファミコンと比べると
圧倒的に少ない数でした。
ファミコン登場以前のゲーム機を見てみると、
30本という数字も決して少なくはないですし、
カセットビジョンから大幅にソフト数が
減ったわけではないのですが、
ファミコンの登場により、ゲーム機の当たり前は
変わった、と言える状態で、
”30本しかソフトがない”ような状態では
とても太刀打ちできない状態になっていました。
また、任天堂はサードパーティソフトも
積極的に取り入れるスタイルによって
ソフト数を大幅に増やし、
結果的にソフトの量・質共に
ファミコンを下回る結果となってしまったのも、
スーパーカセットビジョンにとっては
非常に苦しい結果になりました。
ゲーム機は”今”でもそうですが
ソフトラインナップこそが、
成功・失敗を分ける大きな要素になります。
ソフトが揃っていないと生き残るのは
難しい、ということですね。
互換性なしの影響はあまりない
スーパーカセットビジョンは、前のハード(カセットビジョン)との
互換性はありませんでした。
これも、失敗の理由の一つに挙げられることもありますが
”ゲーム機の互換性は、あまり成否には影響しない”というのが
これまでのゲーム機の歴史から、分かっていることです。
例えば現代大ヒットしているニンテンドースイッチには
互換性はなく、
競合機のプレイステーション5には互換性がありますが、
圧倒的に国内で売れているのはswitchです。
過去にも、互換性があっても売上的に振るわなかったハードも
たくさんあることから、
”互換性あり”がマイナスになることはないにせよ
”互換性をつけたからヒットする”とは限らないのが現実です。
スーパーカセットビジョンも、仮に互換性をつけて
カセットビジョンの既存ユーザーを引き込むことが
できた…としても、
カセットビジョンの売上自体が45万台である以上、
ファミコンのように大ヒットする可能性は低く、
互換性の有無自体はスーパーカセットビジョンの
命運を分けた要素ではないと考えられます。
まとめ
エポック社の家庭用ゲーム機は
カセットビジョン⇒スーパーカセットビジョンで
幕を閉じました。
ただ、カセットビジョンはファミコン誕生前の
国内のゲーム機市場をある程度は盛り上げましたし、
スーパーカセットビジョンも、
30万台は売れているわけですから、
決して全くの無駄ではなかったかとは思います。
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