「ピピンアットマーク」は
1996年3月にバンダイから発売されたゲーム機で、
プレイディアに続くバンダイのゲーム機として
発売された商品です。
しかし、実際にこのピピンアットマークを
見たことがある人は今となっては
非常に少ないと思いますし、
聞いたこともない!という人も多いのではないでしょうか。
同じような時期に出たプレイステーション1、NINTENDO64、
セガサターンなどと比べても、はるかに知名度が低いのも
事実で、実際にピピンアットマークは”苦戦”に終わってしまった
ゲーム機です。
では、ピピンアットマークはどうして失敗してしまったのか、
どのぐらい苦しい状況だったのか、
この点について解説していきます。
ピピンアットマークの売上は?
ピピンアットマークは、
全世界でおよそ4万台、国内ではそのうち3万台程度の
売上を記録した…と、言われています。
この数字は家庭用ゲーム機としては非常に低い数字で、
任天堂のゲーム機は、
スイッチやWii、DS、ファミコンなどは、
1000万台を国内だけで超えていますし、
一番苦戦したWiiUでも日本だけで300万台を超えています。
プレイステーションも
PS1~PS3は国内だけで1000万を超え、
PS4もほぼ1000万台、PS5も現時点で500万を超えています。
XBOXは国内では苦戦していますが、
それでもXBOX360は100万越え、
一番苦戦したXBOXONEでも10万を超えています。
そういった数字と比較すると、
国内3万台というピピンアットマークが
いかに苦戦していたかが分かるかと思います。
なお、バンダイのゲーム機自体は
当時、度々発売されていましたが、
任天堂ハードのように、何百万台も売れたことは
ありませんでした。
ただ、それでも”ピピンアットマーク”の1個前に発売された
”プレイディア”は、日本国内で12万台の売上を記録しているため、
そのプレイディアと比べても、4分の1(国内)になってしまっているという
状況は、非常に厳しい現実を示しているものになります。
では、どうしてピピンアットマークは
ここまで苦戦することになってしまったのでしょうか。
この点について詳しく分析していきます。
高額な価格設定
ゲーム機の成否は、”価格”も重要な要素で、
例えばPS3やPS5などの人気ハードでも
価格で、普及が鈍るようなことはあり、
特にPS3は発売直後、その高額な価格設定もあって、
PS1・PS2と2世代に渡って続いた
”家庭用ゲーム機トップシェア”の座を
競合ハード(任天堂のWii)に明け渡すことになりました。
このように、ゲーム機の価格設定は非常に重要な点で、
そのゲーム機の成否を分ける要素にもなりかねない部分です。
が、このピピンアットマークの価格は
49800円となっており、
1個前のハードであるプレイディア(24800円)と比べて
2倍の価格設定というとんでもない価格になっていました。
また、同時期に展開されていた
SONYのプレイステーション1は39800円でスタートし、
ピピンアットマークの発売時には24800円まで値下げされていましたし、
任天堂のNINTENDO64(ピピンアットマークの少し後に発売)は
25000円、セガのセガサターンは44800円スタートで、
ピピンアットマークが出た頃には20000円に値下げされていました。
このように、競合機と比べても
ピピンアットマークは当時、”他のゲーム機の2倍ぐらいの価格”と
なってしまっており、
”どうしてこんなに強気の価格で行けると思ったのか”と
今振り返っても思ってしまうぐらいに
価格設定に問題があった、ということは否めません。
また、バンダイのゲーム機は比較的低年齢層中心に
なりがちなため、この価格設定がさらに痛く響いたものと
考えられます。
(比較的、コアユーザーが多いハードの方が高額でもまだ
影響を受けにくいため)
販売方式のミス
ピピンアットマークは”普通のゲーム機の販売形式”とは
異なる形式で展開を始めてしまい、
これも大きなミスとなりました。
発売後数か月でこの形式は中止され、
普通に販売が開始されていますが、
”スタートダッシュに自らハンデをつける”かのようなこの
やり方も、失敗に繋がった大きな部分の一つと言えます。
電話での販売、加盟店のみでの販売…
色々と事情はあったことは伺えますが、
それでも、ゲーム機の普及という点において
自ら”縛り”をつけてしまうのは、
相当悪手と言える対応で、
ピピンアットマークが普及しなかった要因の
一端を担ってしまったと言えます。
本体の魅力が伝わりにくい
”どのような魅力があるゲーム機なのか”
という点が伝わりにくく、
”とりあえずすごい機能をつけておこう”と、
適当に搭載してしまったような、
そんな印象を受けるものになってしまっています。
当時は今以上に競合ハードが多く存在していた中、
やはり”これを選んでもらう決め手”がなければいけないわけですが
それを十分に用意することも、
アピールすることもできなかった、というのが
現実で、これも厳しい結果に繋がりました。
ソフトが少ない
ゲーム機の成否を分ける上では
”ソフトラインナップ”も重要です。
特に、ピピンアットマークが発売された当時は
プレイステーション1とセガサターンに強力なソフトが
多数発売されており、
また、NINTENDO64の発売も控えていた上に、
64の1個前のゲーム機にあたる
「スーパーファミコン」も未だ健在の状態でした。
そういった状況の中では
”相当なビッグタイトル”を用意しないと
なかなか本体を購入してもらう、ということは
難しいのですが、
ピピンアットマークのソフトラインナップを見てみると
ガンダムやたまごっちなどはあれど、
ビッグタイトルと呼べるような
大作ゲームが存在しておらず、
これも非常に厳しい結果を招きました。
高額なのにも関わらず、ソフトも少ない…と
なってしまうと、
それはもう”失敗”に向かうしかなくなりますし、
もう少し、色々な戦略を組み立てる必要があった…というのが
現実的なところになるでしょう。
失敗する要素の詰め合わせになってしまった
結論を言えば
ピピンアットマークは”ゲーム機の展開において
失敗する要素の詰め合わせ”になってしまい、
結果的に失敗に終わってしまいました。
価格が高い上に、ハードとしての魅力のアピール不足、
さらにはソフトも少ない、
それだけでも不利な中、販売方法まで制限してしまっていて、
その上で競合ハードも乱立し、それぞれ強い状態…となれば
こうなることは必然であったと言えます。
ただ、ピピンアットマークも完全な”無駄”だったわけではなく
このゲーム機に用いられたサーバーなどをもとに
別のサービスを展開してメーカーは収益を上げたりしていますし、
当然、3万台とは言え、遊んだ人は一応はいるわけですし、
この後のゲーム機たちに
”やってはいけないことのお手本”として
反面教師になることもできたわけですから、
皮肉などではなく、
”意味はあった”とは思います。
ただ、ピピンアットマーク自体が成功したかったのであれば
やはり、もっと色々考える必要があったのは事実です。
まとめ
ピピンアットマークは
”最も売れなかったゲーム機”などと
不名誉な肩書もつけられてしまっていますが、
そこには、ここまでお話してきたような
色々な要因が重なっていた、というのが、
実情になります。
今でも価格やソフトラインナップなどが
重要であることは変わっていませんから、
今後発売されるゲーム機もこうならないよう、
価格面も含めて発売前に色々と考えていく必要があります。
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