熊駆除の抗議電話は控える!考えるべき点と注意点!

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熊の駆除のニュースがあると、
度々、”駆除に対する抗議電話”などが
自治体などにかかってくることがあります。

確かに、動物の駆除に心を痛める気持ちは
分からないでもありませんが、
熊の駆除に関しては、人の命もかかっていることです。
その必要性をしっかりと理解した上で、
冷静に判断し、無用な電話で職員の方に余計な時間を
使わせないようにする、ということも大切なことです。

この点について、詳しくお話していきます。

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駆除は必要なこと。遊びで駆除しているわけではない

熊の駆除のニュースに心を痛める人も
確かにいるでしょう。
人間の都合で他の動物の命を…という気持ちも確かに分かります。

しかし、熊の駆除というものは
人間の生活を脅かす危険がある場合に行われており、
何も、遊びで熊を駆除しに行っているわけではありませんし、
完全に無害な動物を駆除しているわけでもありません。

もちろん、”人間の都合”で駆除しているというのは事実です。
”人間の安全のために”駆除しているわけですからね…。
しかし、そこまで言ってしまっては、
例えば肉を食べることだって”人間の都合で他の動物の命を奪っている”ことに
なりますし、日用品に使われている原材料にも動物や植物由来のものが
使われているようなことはたくさんあります。

つまり、”人間の都合で他の動物の命を奪うな”と言われてしまうと、
人間はまともな生活をできなくなってしまいます。

それを熊の駆除だけに目くじらを立てるのはお門違いですし、
”意味なく熊を駆除しているのであれば”それはもちろん
止めるべきことですが、
”意味があって駆除している以上”、ここは思う所があっても、
グッとこらえなくてはいけない部分です。

駆除をやめれば被害が出てしまう

熊の駆除は基本的に”人的被害が出る可能性がある場合”に
行われます。
何も、人間が何もされていないのに、
わざわざ熊を駆除するために山を登り、駆除しに行っているわけではありません。

そのため、抗議の電話がかかってきたからと言って、
熊の駆除をやめてしまえば、”誰かが”怪我をするかもしれませんし
最悪の場合、犠牲になってしまう可能性があります。

つまり、”熊駆除に対する抗議の電話をする”ということは、
誰かが犠牲になっても構わないから熊を駆除するな!と、
そう言っていることになります。

”そんなことは言ってない”と、言う人もいると思いますが、
結果的に、熊の駆除をやめさせるということは”そうなる”ので、
それを言っているのと同じことです。

また、駆除をせずに何か方法はないのか?という人もいるとは
思いますが、それは対応する人たちにとって
”飛躍的に難易度が上がる”ことになってしまい、
例えば熊を眠らせて捕獲して…なんてことをやっていると
人員も時間もかかりますし、また、人的被害が出るリスクも
跳ねあがります。

ですので、気持ちは分かりますが
現実的に人的被害が出ないように熊に対応するためには、
駆除をする、というのが一番安全かつ、効率的なやり方になるのです。

駆除する側も、喜んで熊を駆除しているわけではなく、
”本当はしたくはないけど、仕方がなくやっている”ということは
理解してあげなくてはいけません。

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自分とは関係ない場合は口出ししないこと

熊駆除に対して抗議をする…
仮に、これを”熊が出没する地域や、直接自分自身が危険に晒される立場”の人が
”私は犠牲になっても構いませんから駆除しないで下さい”と、
言うのであれば(もちろん、だからと言って放置はできませんが)
まだ、それは分からないでもありません。

しかし、熊が出ないような地域、
熊の被害を受ける可能性がない”外”から抗議をするのは
実際に被害を受ける人達に対して攻撃する行為と同じであり、
とても失礼な行為です。

”熊の脅威”と関係のない地域に住んでいる人には
その恐ろしさは理解できないとは思います。
もちろん、無理に理解する必要はありません。
ただ、熊の脅威に晒されている地域・人の足を引っ張るような
ことだけは、絶対にしてはなりません。

自分が熊と関係がない場合は、口出しをしないことです。

度を越せば問題になる可能性もある

熊の駆除に対する抗議電話は度を越せば、
法律的な問題が生じる可能性もあります。

例えば度を越した回数、何度も同じような内容で
抗議をすれば、業務妨害になりますから
何らかの手を打たれる可能性はありますし、
度を越した暴言などを口にすれば、
当然それは脅迫などになってしまう可能性があり、
相手を傷つけるだけではなく、
自分自身の人生にも傷をつけてしまう可能性があります。

熊の駆除は誰も好きでやっているわけではなく、
人的被害などを防ぐために”仕方がなく”やっていることです。

それをやめろということは、
熊の脅威に晒されている地域の人たちに
「あなたたちがどうなろうと知りません」と言っているのと同じです。

人間は生きている以上、必ず他の生き物を犠牲にしています。
植物も含めれば、必ず生きる上で、他の命の世話になっていますし、
熊のことを言い始めたら
草刈りも、害虫駆除も何もできなくなります。

ですので、可哀想と思う気持ちも分かりますが、
間違った正義感で周囲を困らせないように、と言う点は
とても大事なことになるのです。

まとめ

熊の駆除に思う所があったとしても、
それには意味があることであり、
人間が生きている以上、仕方のないことです。

”それでも可哀想だ”という場合、
人間が地球上から消えるしかなくなりますし、
それは極端すぎる考え方です。

できる限り共存できる部分は共存し、
どうしてもそれが難しい部分に関しては対応する、
そうして、人間は生きていくしかありません。

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