色々な企業・団体が
様々な理由で開催する記者会見。
しかし、この記者会見には
入ることができる報道陣が決まっていたり、
時間制限が設けられていたりすることもあり、
人によっては「どうして?」と思うようなことも
あるのではないでしょうか。
特に、不祥事などを起こした際の
謝罪や釈明の意味が込められた”記者会見”の場合、
入れる記者を制限してまた何か隠そうとしている!だとか、
時間制限をして逃げようとしている!だとか、
そんな風に思う人もいるかと思います。
もちろん、謝罪や釈明の会見の場合は
誠心誠意対応するべきですし、
前に他の記事で書いた”印象の悪い会見例”で挙げたように
逆ギレしたり、急に記憶喪失になったり、曖昧な答えばかりしていたり、
そういったことは絶対にしてはいけない行為です。
ただ、”無制限での記者会見を行うべきか”と言われると
それはそれでデメリットもあります。
その点について見て行きましょう。
無制限にすると”質の低い”記者会見になってしまう
記者会見の時間や、参加可能な人間を”無制限”にしてしまうと、
記者会見自体が”質の低いもの”になってしまう恐れがあります。
例えば、謝罪会見などにしても、
本当に必要なことは”何が悪かったのか”
”何が起きたのか”の事実関係や、
”今後どう対応していくのか”
”誰が責任を取るのか”などと言った事柄です。
簡潔に問い、誠心誠意答える…ということをすれば
本来、大体の記者会見はそこまで時間のかからないものです。
それを、記者会見を開く側が曖昧な答えをしたり、
聞く側が要領を得ない質問をしたり、同じ質問を繰り返したり
すると、一気に、無駄にダラダラと時間がかかり
それでいて、必要な情報や答えも引き出せない、
”質の悪い記者会見”になってしまうのです。
無駄に時間が伸びるのにも関わらず、内容が薄くなる
まず、時間制限を無制限にすると、
無駄に時間が伸び、しかも必要な情報を聞き出せずに
ダラダラと時間だけが長くなる…ということが続きます。
当然、記者・会見の出席者・会見の裏方など、
色々な人の時間も無駄に奪われていくことになります。
時間が無制限だと、”聞く側”にも緊張感が失われて
同じような質問を繰り返したり、意味のない質問を繰り返したりと、
どうしても人間である以上、質問の質は落ちていきますし、
答える側も緊張感がなくなっていき、だんだんと回答の質も落ちていきます。
実際に、2025年には企業の会見で10時間越えのものがありましたが
”10時間分の中身はあったかどうか?”と言われれば
まるで評価できないような、そんな薄い内容になってしまっていたので、
(情報量としては、しっかりやれば1時間以内でも済むような内容でした)
時間を長くすればするほど良い、ということではなく
無制限にすることで、質問・回答共に質が落ち、
本当に知りたいこと・伝えたいことが逆に伝わりにくくなってしまいます。
迷惑行為を働く人なども入ってしまう
一方、”入る人”の制限ですが、これも
無条件にしてしまうと、質問するにふさわしくないような人まで
入り込んでしまい、質疑応答などでの質問の質は
著しく低下します。
仮に謝罪会見であっても、やはり会場のルールがある以上は
謝罪する当事者はともかく、他の質問者や会場の司会進行などにも
ルールを破れば迷惑がかかるわけですから、
会見のルールは社会人として守らねばなりません。
が、残念なことに、無差別で会見に人を入れると
そういう最低限なことすら守れない人が増え、
また、人数が増えることによって
他の人の発現中に喋り出してしまうような人まで
入り込んでしまうために、
まるで”子供の集まりのような状況”になってしまうこともあります。
当然、見ている側からすれば「なんだこれ」ということになりますし、
無法地帯になってしまうと、本来の謝罪会見・記者会見の
目的も果たせなくなってしまいますから、
やはり、ある程度は入れる人を絞る、というのは仕方ないことだと
言えるでしょう。
人間、全員がちゃんとルールを守れるなら、
当然、特に謝罪会見の時などは無差別に人が入れても良いと思いますが
残念ながら、ルールを守れない人も多いですし、
それが人間の限界なので、ある程度の制限はやむを得ないかと思います。
制限しすぎももちろんNG
難しい話ではありますが、
逆に”制限のしすぎ”もNGで、
制限を色々課しすぎてしまうと、
今度は、外部からの取材などをシャットアウトした
記者会見になってしまい、
それが原因で余計なイメージダウンを招いたり、
トラブルを招いたりすることになってしまいます。
加減が難しいですが
”閉じすぎた記者会見”は当然論外として
”開き過ぎた記者会見”もまた、その質が著しく低下することになるので、
バランスを考えることが重要になる、ということですね。
まとめ
記者会見は、あまりにもオープンにしすぎても
逆に質の低下を招くことになるほか、
ダラダラと時間が間延びして、効率も非常に悪くなります。
逆に、当然、扉を閉ざすかのような記者会見も、
特に謝罪会見の場合などは非常にイメージが悪いために、
”開きすぎず、閉じ過ぎず”の加減を
上手く、開催する側は行っていく必要があります。
難しいところではありますが、
この判断を間違ってしまうと、
謝罪系の会見の場合はさらに、火に油を注いだり、
問題を長期化させることに繋がってしまいますので、
時間は無制限ではなく、”長めに取りつつ制限は設ける”ことや、
入場者についても、ある程度の制限は必要にはなるかと思います。