任天堂から発売されたゲーム機と言うと、
輝かしいイメージを持つ人も多いと思いますが、
中にはあまり振るわなかったゲーム機も存在しています。
その一つが、1995年に発売された
「バーチャルボーイ」ですね。
テレビに接続することなく楽しめるゲーム機ですが、
専用のゴーグルを覗き込んでプレイするという
かなり変わったスタイルが特徴的な
ゲーム機となっていました。
このバーチャルボーイが失敗に終わってしまった
理由を、考えていきたいと思います。
(関連記事⇒任天堂のちょっと苦戦してしまったゲーム機たち)
バーチャルボーイの売上はどのぐらい?
バーチャルボーイの売上は
日本国内では15万台、世界でも77万台ほどと
言われており、任天堂のゲーム機としては
この数字はかなり低い数字です。
マイナーチェンジ版などの単体を含めたりすれば
話は変わってきますが、
ファミコン、スーパーファミコン、N64、ゲームキューブ、Wii、WiiU、switch、
ゲームボーイ、アドバンス、DS、3DSと歴代の任天堂ハードの中で
シリーズ全体を合わせて国内で100万台を切ってしまったハードは
現在のところ、ありません。
かなり苦戦したWiiUであっても、200万を超えており、
そう考えるとバーチャルボーイの売上は”数字としてはかなり低いほう”で
あることは分かると思います。
これは「失敗」なのか。それとも…?
ただ、バーチャルボーイに関しては
少し特殊な事情もあり、
任天堂からは”ゲーム機としてというよりもおもちゃとして展開した”
というような趣旨の発言が当時の社長や、幹部からも行われており、
”そもそも、従来のゲーム機として展開したものではない”ということも
伺えます。
実際にスーパーファミコン(当時の現行機)の後継機としては
既にNINTENDO64が発表されており、翌年に発売されているなど
主力製品である”ゲーム機”としてはそもそも元から考えていなかったことも
伺えます。
確かに”おもちゃ”として考えるのであれば15万台という数字でも
決して失敗とは言えないため、
バーチャルボーイを”おもちゃ”として考えるのであれば
失敗と言えるような数字ではないのも確かです。
一方で”ゲーム機”として考えるのであれば
先程書いたように、任天堂ハードとしてはかなり低い売上であるのも
また事実なので、
”ゲームとして見るか、玩具として見るか”という点でも
見え方が変わってくるものになります。
では、この先ではゲームとして考えた場合の
売上の苦戦の理由について、見ていきたいと思います。
遊び方が特殊すぎた一面も
バーチャルボーイは、その遊び方が非常に特殊で、
専用のゴーグルを装着して、
画面を直接見るような形で遊ぶゲーム機となっていました。
当時としては非常に”特殊”な遊び方で、
現在でこそ、”VR”系統のゲームは
そういった遊び方をしますが、
当時、VRのゲームなど存在しなかったので、
かなり特殊な遊び方をするゲーム機であったのは事実です。
画期的な商品は爆発的に売れる場合もあれば、
そうでない場合もあり、
バーチャルボーイに関しては、
あまり好意的に受け入れられたような感じでは
なかったのは確かです。
実際に視力への懸念なども騒がれたりしていて
(※実際には特に悪影響はないとされています)
”この遊び方はすごい!”というような空気には
残念ながらなっていなかったのは事実です。
ソフト面の苦戦も
バーチャルボーイは、ソフト面でも
苦戦を強いられており、
”おもちゃのソフト数”としては
多いかもしれませんが、
仮に”ゲーム機”として考えると、
ソフトの数に関してはかなり”少ない”と言わざるを得ないのも現実です。
実際、最終的に発売されたソフトは
”19本”となっており、これはゲーム機としては
本数的に非常に少ない本数です。

また、バーチャルボーイが発売されたのが
1995年7月のことで、最後のソフトが発売されたのが
1995年12月のことですから、
わずか半年の間しかソフトが発売されておらず、
この”期間の短さ”も極めて異例でした。
あくまでも”ゲーム機として考えた場合”のお話にはなりますが、
タイトル数も、発売期間も非常に少ない・短い状態ですので、
苦しい状況であったことが伺えます。
なお、おもちゃとして考えた場合は
これだけソフトが出ていれば”良い方”とも言えるのですが
一方で、バーチャルボーイには
”当初発表されたものの、開発中止になったソフト”が
数十本存在しており、
このことから”決して予定通り進んでいたわけではない”ということは
伺えます。
おもちゃとして展開していたのだとしても、
ちゃんと順調に進んでいれば
少なくとも、こんなに大量の”開発中止ソフト”が短期間のうちに出ることは
まずないために、
やはり、何らかの部分では思うようには進んでいなかった、
ということは現実問題としてあるのだと思われます。
他のハードに飲み込まれた
当時は多数のゲーム機がちょうど登場した時期で、
バーチャルボーイ自体は1995年7月の発売でしたが、
SONYからは現在も続いているプレイステーションシリーズの第1弾となる
”プレイステーション”が1994年12月に発売され、
当時はまだゲーム機を展開していたセガからも、
1994年11月に”セガサターン”が発売されていました。
この2つはどちらもヒットを記録して、
(結果的にプレイステーション1の方が勝つ形にはなりましたが
セガサターン自体もセガのハードの中では最も高い売上を
記録しています)
当時のゲーム業界はこれに加えて、
まだ好調だった任天堂のスーパーファミコンもあった状態なので、
他のゲーム機に話題を飲み込まれてしまったことも事実です。
加えて、目立つ存在にはなれなかったものの、
1994年3月には「3DO」というゲーム機が、
1994年9月にはネオジオのマイナーチェンジ「ネオジオCD」が
1994年12月にはPCエンジンの後継機「PC-FX」が、
それぞれ発売されており、
かなりゲーム機自体の存在が乱立していた状況です。
登場するものが多ければ、当然埋もれてしまうものも
多くなりますから、時期的にも決して良い時期では
なかったと言えます。
後継機の登場も近い状況だった
前述の要素に加え、バーチャルボーイ発売の約1年後の
1996年6月には任天堂から
スーパーファミコンの後継機・NINTENDO64が発売されています。
1年もせずに次世代機が登場する状況で、
かつ、既にこの頃にはNINTENDO64の情報公開も
積極的に行われ始めていたタイミングだったため、
これもまた、バーチャルボーイを苦戦させた原因の
一つであると考えられます。
ゲーム機は、当時は今よりまだ少し安かったとは言え、
やはりポンポンと購入できるような金額では
ありませんでしたし、
次世代機(しかも本命のもの)がそのあとに出るとなれば
売上にも影響は出たでしょう。
また、メーカーもNINTENDO64のアピールに注力し始めた
時期であったために、バーチャルボーイよりも
そちらの展開に本腰を入れてしまった一面があったのも
否めないかとは思います。
まとめ
遊び方がかなり特殊であったこと、
ソフトの数も少なかったこと、
競合機や、任天堂自体の次世代機が既に近付いていたこと、
そういったことなどから、
バーチャルボーイは苦戦を強いられる結果に
なった…と、考えられます。
ただし、純粋なおもちゃとして
考えればそこまで大失敗ということでもないので、
見る角度によって見え方が変わって来る、
そんな不思議な商品であるのも事実です。
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