人は何のために生きているの?人生の目的とは?考え方を解説!

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「人間は何のために生きているのか」

永遠のテーマ(?)ですね。

実際のところ、人間が何のために生まれてきて
何のために一生を過ごすのか、の
答えは分かりません。

一生を終えたあとには、何もないかもしれませんし、
実は人生自体が、何らかの修行のようなもので、一生を終えたあとには
別の世界が待っている可能性だって
あると言えばあるかもしれません…。

人間は、分からない部分の多くを「勝手」に想像していますから、
実際のところ、人生を終えたあと、どうなるのかは分からないわけです。
何もないかもしれないし、何かあるかもしれない。

少なくとも、人生を終えた人間は、この世界に戻って来ることは
ありませんから、いつの日か、自分自身が体験することになるまで
それは分からないことです。

で、話を戻しますが
「人は何のために生きるのか」を、疑問に思う人も世の中には
いると思います。

どう考えれば良いのか。
その点を解説していきます。

念の為先にお話しておきますが、
現実目線でのある意味では冷めた(?)お話です。
スピリチュアル系なお話、神がどうこうとか、そういうのは出てこないので
安心してください!

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難しく考える必要はない

一番大事なことを最初に言ってしまうと
「人生を難しく考える必要はない」と、いうことです。

「人間は何のために生まれて来たのか」
そんなことを考えるだけ、時間の無駄、ということですね。
どうしても考えてしまったり、気になってしまったりする人がいるのも
分かりますが、考えても答えは出ません。

考えても無駄なので、限りある人生を楽しむことに
全力を費やした方が、有意義な時間を送ることが
できるかと思います。

答えの見つからない問題を永遠に考えていても、
仕方のない、ということですね。

「人生とは何か」を考えること自体が趣味なのであれば、
それは、趣味は人それぞれですし
自分が楽しいと思ってそれを考えているわけですから
全然良いと思いますが、
そうでない場合は、あまり難しく考える必要はありません。

「楽しむために生きている」で、十分だと思います。

種の保存は人間が勝手に考えただけ

人の生まれて来た意味は「生物学的には種の保存のため」
みたいなことを言いだす人もいますが、
そもそも、生物学とは何かを考えてみてください。

生物学も、所詮は人間が勝手に作り、
勝手にそうだと思い込んでいるだけのものです。

ですので「種の保存のため」も、決して正解とは
言えませんし、
ましてや、それを他人に押し付けるものでもありません。

子孫を残す・残さないは個人の自由です。

生物学的には子孫云々を言いだす人に多い傾向に思えますが
「それが生きる意味」と決まっているわけではないので、
それを他人に押し付けるようなことは控えましょう。

子孫を残すだけが人生ではなく、
「子孫を残す」というのは
無限に存在する選択肢の一つです。

子孫を残す道を選んでも良いですし、
選ばなくても良い。
それだけのことであり、
人間が生まれて来るのは子孫繁栄のためとは限りません。

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生きている間を「楽しむ」ため

人間が生きる理由…それは
「生きている間を楽しむため」ということで
良いのではないでしょうか。

美味しいものを食べたり、
好きなことに時間を費やしたり、
色々な出来事が世の中にはあります。

自分の趣味・好きなことを見つけ、
それを楽しむことが出来るかどうか。

自分のやりたいことや目標を見つけて
それを叶えることが出来るかどうか。

「人生」という名の娯楽を楽しむために生まれた、
ということで良いのではないかと思います。

例えば「遊園地」だって楽しむために足を運び、
楽しい時間を過ごし、そして、最後には遊園地から出ていきます。

人生も同じことで、
楽しむために、この世に生まれてきて
楽しい時間(辛いことも含めて)そして、最後にはこの世から去っていく…

難しく考えずに「楽しむため」に生まれて来た、
ぐらいに簡単に考えておくのが
最初にも書いた通り、一番、気は楽かと思います。
どうあがいても、「答え」にたどり着くことはできませんし、
答えは存在しませんからね…。

楽しいことがない人生はどうすれば?

人生、楽しいことばかりではありません。
「楽しむため」と言っても、楽しいことが何もない…
という人もいるとは思います。

辛いことばかりの人生も、
現実には、世の中にたくさんありますからね。

そんな場合に「何のために生まれて来たのか」と
言われると、なかなか難しい質問であるのも事実です。

「いつかは楽しいことがある」と言うのは
綺麗事で、ずっと苦しいだけの人生である可能性もありますし、
もっとつらい出来事が待ち構えている可能性もあります。

楽しい人生な人はずっと楽しい人生かもしれませんし、
辛い人生な人はずっと辛い人生かもしれません。

ただ、人生を終えた時に待っているものが、
「無」であれ、「次」がある場合であれ、
少なくとも、今回の人生は1回きりであり、
どうせ、いつかは終わることです。

苦しいことも、いつかは終わります。

そうであるのであれば
「ずっと苦しいまま」かもしれませんが
「もしかしたら楽しいことが起きるかもしれない」のも事実ですから、
もしかしたらこの先にあるかもしれない楽しいこと、を目指して生きる…
ということを目指していくと良いと思います。

「辛い中でも、少しでも楽しい・安らぎになること」を
見つけることが出来ると、なお良いですね。
(例えば、仕事続きで楽しいことはないけど、晩御飯のラーメンはうまい、とか
 そういう小さな希望でも良いと思います。
 自分は、このラーメンを食べるために生まれて来たんだ、でも
 十分、それは生きている理由になると思います)

正解を見つけることは出来ないからこそ生きる

「人間は何のために生きているのか」
それは、人間には分からないことです。
そして、正解が分からないからこそ、生きていくのです。

「生物学的には子孫の繁栄のためだ」と、
ドヤ顔でそれが正解だと断言するような人もいますが
それはあくまでも「人間が勝手に作った生物学の中の話」であり
本当のところがどうなのか、ということは誰にも分からないことです。

人生を終えたあとには、実は次のステップが存在していて
「人生という修行が終わったね お疲れ様」みたいな展開だって
可能性としては0ではないですし、
先のことも、人間が生きている理由も、誰にも分かりません。

しかし、分からないからこそ、生きる、
ということですね。

人間は”得体の知れないもの”や”未知の存在”に対して
恐怖を抱く生き物です。

「生きた」先には何があるのか。
それは、誰にも分かりません。

何もないのか、
それとも実は何かあるのか。

とは言え、仮に「何か」あったとしても、
人生を終えた人からそれを聞くことはできません。
ですので、人間にとって「人生を終える」ということは
とても未知数なことであると同時に
未知数だからこそ、とても不安に感じたり、
恐怖を感じたり、
「今のこの現状=生きている現状」から離れたくない、と
感じたりするものなのでしょう。

人間が生きている目的など、誰にも分かりません。

この先、人生を最後まで全うした時に、
ようやく分かるものなのかも、しれませんね。

まとめ

今現在では「人間がどうして生きているのか」など
誰にも分からないことです。
ですので、難しく考えずに、今は気楽に
人生を楽しむことに集中しても
良いのではないでしょうか。

私は「趣味を楽しむため」と割り切って生きています。

仕事をして、趣味を楽しみ…
先のことは先に考える、という感じですね。

生きているうちは「なぜ生きているのか」の答えに
たどり着くことは、できないと思うので、
あまり難しく考えずに、気楽に生きていきましょう!

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