親ガチャとは?どんな意味?考え方のポイントは…?

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「親ガチャ」という言葉はどんな意味なのか。

ネットなどを中心に使われるほか、
近年ではドラマなどでも時々そんな話題が
出ていますが、
「よく意味が分からない…」という人もいると思います。

そんな「親ガチャ」という言葉の意味と、
考え方のポイントを、それぞれ解説していきたいと思います。

こういった、一時的な流行語のような言葉は
そのうち誰も使わなくなるかとは思いますが、
大雑把に意味だけでも、覚えておいても、損ではない…かもしれません。

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親ガチャとは何か

別にそういうガチャがあるわけではなく、
「親を選べないこと」を皮肉っぽく表現している
言葉になりますね。

ガチャとは、お店などにあるガチャガチャや、
最近で言うと、スマホのゲームなどのガチャなど、
”ランダムで何かが貰えるもの”のことですが、
それを「子供が生まれるときに親を選ぶことができない」=
「親はランダムで決まる」に、当てはめている言葉、
ということになります。

簡単に言えば、
”親はランダムで決まり、当たり・ハズレがある”
を、今風(?)の言葉で表している言葉ということです。

親云々をガチャに例えるなんて失礼すぎる!と、思う人も
いるかもしれませんが、感じ方は人それぞれとして、
今ではこういう言葉・表現もあるということは覚えておきましょう。

何が「アタリ」で何が「ハズレ」なのか

人生をアタリ・ハズレで表現するのも、なんとなく変な感じですし、
あまりよく思わない人も多いとは思いますが、
一般的には「幸せな家庭」だったり「金持ち」だったり、
「お金は無くても性格面が良かったり」というような親の元に
生まれると「親ガチャ=あたり」ということになり、
「貧乏」だったり「虐待」があったり「家庭が幸せではない状態」だったり、
そういう親の元に生まれると「親ガチャ=ハズレ」ということに
なる…という感じですね。

何が当たりで、何がハズレかなど、
最終的には本人がどう感じるかですし、
あまり気にしなくても良いとは思いますが
このように”生まれた環境”のあたり・はずれを考えるような人も
現代では存在しています。

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いつ頃から登場したの?誰が使い始めたの?

一番最初に登場したのは、ネットであると言われており、
2020年前後ぐらいから、その言葉を確認できるようです。

しかし、最初に誰が言い始めたのか、など
具体的な歴史までは、私のほうでは確認できませんでした。

ネットで誰かが口にして、
それが広がっていった、ということなのでしょう。

2021年では、テレビドラマなどでもその単語を確認することができるなど、
だいぶ、広がっている様子が伺えます。

親で人生が左右されるのは「現実」

親で人生が左右される…ということは
本当にあるのかどうか。

これに関して言えば「ある」というのが現実になりますね。

もちろん、それだけが全てではありません。

しかしながら、例えば生まれてすぐに虐待されて
命を奪われてしまうようなケースでは、
子供の側にはどうすることもできません。
”人生、最終的には本人の努力次第だ”という人もいますが、
さすがに、何も分からないような年齢で親から命まで
取られてしまっては、何もできないでしょう。

また、親がお金持ちで、最初からキラキラした人生を
歩むような人がいるのも現実です。
”努力せずとも最初から金持ち”な人は
やはり、世の中に確実に存在するのです。

そういった意味では「親ガチャ」などと言われてしまうような
要素は、現実に「少なからずある」というのが答えになるでしょう。

親によって人生が、ある程度左右されることは、
これは、現実です。

全員が全員そうではありませんが、
そういうことは、世の中に確実に存在しているのです。

努力でどうにもならないこともある

「努力」はとても素晴らしいことです。

「親ガチャ」という言葉を使う人に対して
「努力不足」だとか「親を言い訳にしている」という
人もいるでしょう。

当然、実際に努力不足だったり、親を言い訳にしている人も
いるのは事実です。

しかし、その一方で、”親”との関係性や
親の状況などから”どんなに努力してもどうすることもできない”
ような人も世の中にはいるのも現実です。

実際に自分が努力して何かを勝ち取った人や、
ここで言う「親ガチャ」が当たって、苦労していない人などからすると
なかなか分からないことなのかもしれませんが、
”努力してもどうにもならない家庭環境”の人も
世の中には確実に存在しています。

私はそうではありませんが、
”自分が、努力してもどうにもならない環境ではない”からと言って
そういう人たちに”努力不足”と言葉を投げかけるのは
やめた方が良いですし、想像力が決定的に不足しています。

”親ガチャで外れた”という人生の人も、本当にいるのです。

自分がそうでなくても、
「人のことを想像し、実際に自分がそうじゃなくても、
想像力を働かせて理解する」ということは大事なことです。

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使い時を間違えるとマイナスイメージに

「親ガチャ」という言葉をもしも
日常生活で使う場合、
”使い時”を間違えないように注意です。

と、いうのも先ほども少し書いたように、
親ガチャという言葉に拒否反応を示す人、
嫌う人もいるためです。

私は特に何とも思わない
(好きでも嫌いでもない)タイプですが、
中には「親ガチャ」という言葉を耳にするだけで
いらつくような人も世の中にはいます。

特に、年配の方や、
ネットなどの用語に拒否反応を示す方などの前では
わざわざこの言葉を使わない方が良いでしょう。
(親ガチャ、と言う言葉をよく思うか、悪く思うかは
 個人の自由なので、拒否反応を示すことが悪いという
 意味ではありません)

また、親の前で「親ガチャ」なんて言葉を使うのも
あまり、良くない印象を持たれるだけの
可能性は高いですから、
わざわざ使わない方が良いですね。

”使う相手はよく見極める”ということが大切です。

「親による格差」を無くすことは可能なの?

最初にも書いた通り「親ガチャ」と言われてしまうような
格差が一定数世の中に存在することは紛れもない事実であり、
これは否定のしようがありません。

虐待などもそうですし、
経済的格差などについてもそうです。
実際、そういう要素は世の中には存在するのです。

ですが、それを解決することはできるのかどうか?
と、言われればきれいごとを言うことは簡単ですが
現実的には不可能に近い、というのも現実です。

困窮家庭の支援をいくらしようと、
やはり格差はあるでしょうし、
虐待などに関しても、完全に0にすることは
非常に困難です。

「ある程度の格差」を減らすことができても、
やはり、差を完全になくすことはできないでしょうし、
「親ガチャでハズレた…」と子供が思ってしまうような
厳しい家庭に生まれるような子を無くすことも
残念ながらできないでしょう。

口では「こんな思いをする子がいないようにしなければ!」
ということはできても
実際「じゃあ、どうするんですか?」となると、
まぁ…現実的には不可能であると思います。

人間の自由を全て奪いでもしない限り、
どうにもならないでしょうし、
そんなことはできませんから、
実際のところ「親ガチャ」と言われるような要素が
無くなることはないのでしょう。

冷たい言い方ですが、それが世の中の現実です。

まとめ

あんまり、良い表現ではない…と感じる人も
多いと思いますし、私も使いどころに注意すべきだと思いますが
一方で、世の中の心理をついている言葉の
一つでもあるかとは思います。

どんな綺麗ごとを言っても、
そういう一面は、人間の社会にはありますからね…。

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