「節電のお願い」だけではいつか破綻する!電力供給の根本対策も必要!

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電力の需要がひっ迫した際には
「節電のお願い」が呼びかけられることがあります。

もちろん、これは良いことですし、
個人的にもそういう呼びかけがあればできる範囲内での
協力はどんどん行っています。

節電のお願い自体は、電力の逼迫が起きた場合には
正しい対処ですし、呼びかけを活用していくことは、
決して悪いことではありません。

しかし、その一方で、
「節電の呼びかけ」を繰り返さないといけないぐらいに
電力の供給が逼迫するようなことが出てきてしまった場合には
「節電のお願い」の繰り返しだけではなく、
根本的な対策も並行して考えていかなくてはなりません。

「節電のお願い」で、確かに、電力供給のひっ迫を
一時的に乗り越えることはできます。
が、もしも短期間のうちにそれを繰り返すようなことがあれば、
次第に「節電のお願い」の効果は薄れていき、
”いつかは”破綻し、計画停電や大規模停電などに繋がる恐れもあります。

”奇跡は何度も起こらない”

「節電のお願い」は大事ですが、
いつまでも「節電のお願いでいいや」と、いうわけにはいかない、
ということですね。

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「節電のお願い」は有効。ただし「それ頼み」ではいけない

上で書いたように”節電のお願い”は確かに
有効的な対策です。
効果的にお願いすることが出来れば、
節電意識が高まる人もいますし、
節電に協力してくれる人もたくさんいます。

ですが「節電のお願いをすれば電力の逼迫が起きても回避
できるから、その都度お願いすればいいや」と、なってしまっては、
いずれ破綻してしまいます。

本来は「そのようなお願いをせずとも」大丈夫なように
電力が安定供給されていることが望ましいですし、
「綱渡り」のような状態を何度も何度も繰り返せば
いずれ、綱から落っこちる…つまり、予期せぬ停電に
繋がってしまう可能性があります。

何度も何度も、節電のお願いでうまく行くのか?
と、言われれば必ずしもそうではありません。

また、短期間に何度も「節電のお願い」で乗り切ろうと
していると、節電効果も次第に薄れていく可能性が
非常に高く、そういった意味でも、
何度も何度も節電のお願いで乗り切ろうとするのは
非常に危険です。

その点を、詳しく見ていきましょう。

人間は次第に「油断」が生まれていく生き物

人間は次第に「油断」していく生き物です。

「節電のお願い」を、出せば1回目、
あるいは「前の節電のお願い」からだいぶ間が空いていれば
「このまま電気を使い続けるとやばいかも」という
緊張感が生まれ、節電効果もそれなりに出ます。

それで「電力の逼迫」をうまく乗り切ることができれば
それはとても良いことです。

しかし、その”上手く乗り越えることができた”という現実が
油断に繋がります。

「なんだ、大丈夫じゃん」と思う人が結果的に増えていくのです。
人間とは、そういう生き物です。

これを読んでいる皆様が「いや、呼びかけがあるたびに毎回
しっかりと節電する」と、思っていたとしても、
確実に「回数を重ねるごとに気を緩めていく人」は
世の中にたくさん存在するのです。

もしも、節電のお願いが「2回目」「3回目」「4回目」と
短い期間の間に繰り返されるようなことがあれば、
1回目はしっかり節電した人も、2回目は「この前大丈夫だったし…」と、
どんどん気を緩めていき、
4回目の時点では「全く気にしないようになっている」と、
言う可能性もあるのです。

回数を短い期間で重ねれば重ねるほど
「一度トラブルになるまで」、どんどん人間は
油断していくものです。

これを避けることはできません。

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次第に「不満」も生まれていく

「節電のお願い」を何度も何度も繰り返せば
そのままだと、次第に不満も生まれていきます。

「またかよ」というような印象を持つ人は
必ず出てきます。

これも、↑と同じように、2回目、3回目、4回目…と、
どんどんそういう人は増えていくでしょう。

ただし、上の「油断」に関しては
「節電で停電を回避できた」を繰り返す都度、
膨れ上がっていくことはどうにもなりませんが、
この「不満」の方に関してはある程度
小さくすること自体は可能であると思います。

それが”ゴール”を示すということです。

例えば「節電の呼びかけをするとともに、
電力供給自体を今後増やすための、こういう対策をやっています」
あるいは「こういう対策を検討し、いつまでに実現予定です」など、
具体的に”電力会社(あるいは行政)が側”も、
何度も何度も節電をお願いしているばかりではなく、
そうならないように、時間はある程度かかりますが、
解消に向けてこういうことを考え、こういうことを行う予定です、
ということを示す、ということです。

それができれば、ある程度不満は生まれにくくなるでしょう。

もちろん、それでも回数を重ねるごとに限度はありますが、
何も言わなければ
「節電をお願いするだけで、そちらは何か、安定供給のため、
今後、何かやらないの?」という人や
「節電をお願いすればいいって思ってない?」と不満を感じる人は
確実に増えていきます。

予期せぬ事態が起きせば「節電」では対処できない

節電のお願いが行われるときは
基本的には”かなりギリギリの状態”です。
既に何らかのトラブルが起きていて、
十分に発電できていない状態になっている場合もあります。

その際に「節電」をお願いすれば何とか乗り切れるとしても、
それは”節電をお願いしたタイミングで、何か予想外の出来事がないこと”
が、前提となります。

例えば、そういったタイミングで、さらに自然災害が発生したり、
発電所のトラブルが起きたりした場合、
もはや”打つ手は無くなる”ことになります。

そうなれば、大規模停電(ブラックアウト)を回避するべく、
緊急的な停電で対処することになるでしょう。

「節電のお願い」を何度も何度も繰り返していれば
当然のことながら
いつかは、”節電のお願い中に予想外の事態”が
起きるようなことも、出てくるでしょう。

そうなってしまわないためにも、
やむを得ない時は仕方がありませんが、
出来る限り”節電のお願いをしないと乗り切ることができない”
という、場面が訪れる回数は
減らしておくべきことなのです。

地球にとって、人間の生活など、まるで関係のないことです。
電力がギリギリであろうと、容赦なく、何かが起きる時は起きます。

「節電」は個人にもできる。しかし「供給力」は個人では対策できない

「節電」は個人でも協力することができます。

しかし「供給力」は、一部自家発電などをしているご家庭も
あるとは言え、多くの一般家庭には厳しく、
「根本的に供給力を上げること」は、
個人では”どんなにやりたくても、できないこと”です。

それができるのは「行政」と「電力会社」です。

もちろん、多くの困難はあると思いますし
そう簡単なことでもなく、限界もあるでしょう。

しかし、「節電をお願いすればいいや」にもしも、なっているのであれば
それは大問題であり、
電力需要の逼迫が増えるようであれば、
仮に何年・何十年と時間が必要なプランであっても、
その可能性を探り、実行に移していくのが
”供給力の対策ができる立場”にいる人たちの責任です。

個人では、どんなに頑張っても
節電や、せいぜい自家発電が限界で、
世の中全体の供給力に対する対策はできません。

ですので「できる側」にいる企業・人々は、
しっかりと節電をお願いするだけではなく、
自分たちも対策の検討や実行を、しっかりと行っていく必要が
あると考えます。

まとめ

「節電お願いします」と、お願いしつつ、
今できる限りのことを電力会社や行政も行っている…
これは事実ですし、
この点を、批判したり責めたりすることは控えた方が良いです。

ただ”節電のお願い”と”その場でできること”で、
電力会社等が満足してしまうのは、これは、良くないことであり、
「節電のお願い」と「その場でできる対処」を行いつつ
「これから先、どうしていくのか」ということを
具体的に検討し、必要なことがあれば
実行に移す、ということが、非常に大事になります。

いつまでも「毎回これで乗り切れるだろう」では、
いつの日か、必ず破綻するときがやってきてしまいます。

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