20代で自営業の道を選んだ理由と経緯を包み隠さず話します。

自営業

何故 自営業の道を20代にして選んだのかー。

希望など微塵もない、地獄のような…
そんな世界に何故、飛び込んだのか…。

思えば今までも色々な苦難の道を乗り越えてきた。

乗り越えた先にたどり着いたのが
”自営業”という道。

けれども、そこには光など無く、
あるのは進んでも、進んでも、光の無い
”漆黒”のような道。

何故、私が自営業の道を選んだのか。

”書けなくなる前に”書いておこうと思う。

もしかしたら1年後には廃業して書けない状況に
なっているかもしれないからーー。

だからこそ、今 記す。
20代で自営業になるまでの漆黒の道をーーー。

自営業に至るまでの道

学生生活。

学校側からの評価も悪くなく、
成績的にもそこそこで、人間関係にも問題は無かった。

順調な学生生活だった。

就職活動。
それほど、勉強など、苦労した覚えはないものの、
流れるようにとある大手企業から内定を頂いた。

ここには名前は書かないけれども、
誰でも知っているであろうあの企業だ。

このまま順調に人生が進むと思っていた。

この会社で定年まで勤め上げて
安定した人生を送って行けるのだろう。と。

その時はまさか自分自身が自営業になるなんて
夢にも思わず、ごく普通の会社員として、
そのまま人生を送るのだろう、と
そんな風に思っていた。

…が、そう上手くは行かなかった。

人生とは何が起きるか分からない。

ここから漆黒の道へと堕ちることになってしまうとはーー
当時の私は夢にも思っていなかったのだった。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここで少し余談を話しておこうと思う。

この話をしておかないと、
この先の話を理解してもらえないだろうから。。
…。

私はとある”欠陥”を持っている。

それは、
”太陽の光に当たると、その部分が湿疹だらけになったり、
酷い時は火傷のようになってしまう”

というもの。

元々、小さい頃から皮膚は弱かったものの、
本格的にそうなってしまったのは中学校1年生の頃。

職場体験という行事でとある職場の体験を終えた日から、
体調が悪化した。

あれからもう10年以上が経つ。

けれども、もうこの症状は治ることはないのだろう。

あの日以来、私は日中、普通に外に出ることが出来なくなった。

外出する際には
UVカットの帽子と、UVカットサンバイザー、
そして手袋をして、皮膚に直射日光が当たらないようにしなくてはならない。

何も知らない人から見たら変質者だろう。

けれども、それ以降も
なるべく人に迷惑をかけないようにやってきた。

体の一部分が不自由な人の中には
”周りが配慮して当たり前”と傲慢な態度をとっている人も居る。

けれども、私はそうあってはならないと思う。

私がそこに居るせいで、周囲の人には”気を遣わせている”のだから。

だから、自分で守れることは極力自分でするようにしてきた。

例えば、歯医者。
夕方の時間帯は診療室内に西日が当たる。

その医者にはカーテンがあるから、事情を話して閉めてもらうことは
できるかもしれない。

けれども、それは”迷惑をかける”行為。

だから私は歯医者の予約をとるときに絶対に日が当たらない時間に
予約を入れるようにしているし、
そうやって、なるべく人に迷惑をかけないようにする姿勢が、
大切だと思う。

就職後もそうやって行くつもりだった。。

社会人初日。
同じ学校出身の同期とは、これからうまくやって行こう、と
お互いを励まし合い、

同じ部署で働くことになる同期とは仲良くなった。

唯一の女性新入社員の同期の方からも、
「一番話しやすい」と言われたり、ここでの人間関係も
順調なスタートをきることができた。

あとは、仕事を早く覚えて…

そんな風に思っていた。

けれどもーーー
そうはいかなかった。

いくら迷惑をかけないように、とは言え、
この体質を隠したまま入社するのは、それ以上に会社側に迷惑がかかってしまう。

だから、面接の時に私は隠さず話した。

それでも大丈夫だからー。
ということで採用担当者は快く採用して下さった。

…が、、、
上手く行ったのはここまでだった。

大手企業ならではの欠点。

そう、面接時に話したはずの事は全く会社側に伝わっていなかったのだった。

…困惑する会社。

困惑する部署の責任者。

腫物を扱うかのような対応。

そして私は決心した。
会社を退職することを。

勿論、無理して残留することはできた。
同期は症状を知った後も、普通に接してくれたし、
会社の方も、配慮して下さるとのことだった。

けれどーーー
それ以上、迷惑をかけるわけには行かなかったし、
何より作業内容からして、
”配慮”された先にー仕事が無いのは明確だった。

そして私は退職願を提出した。

今でも忘れない。

直属の上司の憐れむ顔。
責任者の何とも言えない表情。
採用担当者の俺の顔に泥を塗りやがって、というような顔。

けれども、迷惑をかけたのは事実。

だから、それを全て受け止めて、退職した。。。

社会人になったら3年は頑張れ。
よくそう聞く。
…が、私の場合は3週間すら持たなかった。

そしてこれが、今へと続く、”漆黒の道”の始まりだったのだった。

バイト探し…

入社してからわずか1週間ほどで退職することになった
私は、いきなり”無職”になってしまった。

どんな事情であれ、仕事が無ければ無職。
その事実に変わりは無い。

とりあえず、すぐにアルバイトを探すことにした。
とにかく何かをしなければ始まらない。

そこから、私のバイト探しが始まったのだった。

とあるお店に応募し、すぐに面接の日がやってきた。
面接は無難に、問題なく終わった。

私自身、学生時代の模擬面接ではいつも高評価だった
こともあり、自分で言うのも何だけれども、
面接の出来自体は悪くないとは思う。

ただ一つ、問題があるとすれば”あの部分”だった。

そう、太陽光に当たれないという部分。

隠して採用されることはいくらでもできる。

面接時は黙っておき、採用されたら打ち明ける。
一度採用さえされてしまえば、簡単にはクビには
できないだろうし、
自分の仕事ぶりで、信用を得ることもできる。

しかし、私にはそれはできなかった。
自分自身の欠陥を隠し通して、
アルバイトに採用されるなどと言う、
自分の事しか考えない卑怯な手は
使いたくなかった。。

だから私は、
面接のときに正直に話した。

ありのままにー。

自分の症状をー。

そして、、
勿論採用されなかった。

当たり前だ。
後に店長を経験した私にはその気持ちがよくわかる。

バイト募集をかけると、結構な人数が応募してくる。

その中からわざわざ
「太陽の光に当たれない」などと言っている
怪しい人物をわざわざ採用する必要など、雇う側にはないー。

事実、私もアルバイトの面接をする立場になったとき
”少しでも不安要素”のある人間から優先的に
採用候補から落としていった。

ー今後の予定が分からない人
ーコミュニケーション能力に心配のある人

そして、、
ーー持病や特殊な体質の人間。

その気持ちは痛いほどよく分かる。

元々、私は店長になる前からそういう考えを持っていたので、
落とされても仕方ない、そう考えていた。

1件目で不採用となった私は
すぐに次のバイト候補のお店を見つけて、連絡。
また面接に行くことになった。

それと同時に、また落とされる可能性も高いと判断した私は
2件目の面接を待たずに、3件目にも連絡をし、
面接の約束をすることにした。

健康なのに仕事が無い。

まさにこれは地獄のような日々だった。

家に居ても居場所など無く、
外に居ても居場所など無い、
知り合いに合わせる顔も無く、

まさに”生き地獄”

無職で平気な顔をしている人も世の中にはいるけれども、
私には無理だった。

日々が地獄。
周りの人間が慰めの言葉をかけてきても、
心の奥底ではあざ笑われているのが分かる。

一刻も早く、1日でも早く、1分でも早く。

この地獄から抜け出したかった。

…が、そんな私の思いとは裏腹に
2件目も落ちた。
3件目も落ちた。

4件目、5件目、6件目、7件目…。

気付けば既に10件以上のバイト先で
不採用となった。

たまっていくのは
今後のご活躍をお祈りします~みたいな
テンプレートが書かれている手紙入りの封筒。

そんなこと、心にも思っていないような
文章のかたまり。

それだけが貯まっていく。

けれども、私は諦めなかった。

その地獄を早く抜け出さないといけないからー。

無職という名の地獄を早く抜け出さないと、
自分の心がダメになってしまうからー。

私は狂ったように、面接の予定を入れまくった。

そして、当然採用はされない。

12件目の面接先では、
とても好意的な対応をしてくれた。

しかし、、
太陽光の話をした途端表情が変わった。

採用担当者はこう言った。
「何か言い残すことはありますか?」

何なのだろう?
これから世を去るかのような物言いだ。

だが、私は別に何とも思わなかった。

やはり、太陽光に当たれない人間を雇うお店など
どこにもないのではないだろうか。

そんな風に思いはじめていた。

しかし、それでも地獄を抜け出さなくてはならない。

ーーー18件目。
ついに「採用」の電話がかかってきた。

「○○日からお願いできますか?」
その言葉を聞いたとき、私は思わず
”本当ですか?”と聞いてしまった。

向こうからすれば「え?」という感じだっただろう。

こんな体質の私を雇うなんて、変わっている店長なのだろうか?
そんな風に考えながらも、
私はようやく、バイトとは言え、仕事を見つけることが出来たこと、
そして”無職”という名の生き地獄を抜け出すことが出来たことを
素直に喜んだ。

翌日。同時進行していた19件目の面接先から連絡があった。

「採用」、だと。

今までの17件、あんなに落とされたのに、
何故最後はこうなってしまうのだろう…。

既に18件目の面接先に行く、と伝えてあった私は
申し訳ない気持ちを抑え、19件目の面接先の採用連絡をお断りした。

もし、この時”19件目”の方を選んでいたのなら、
今頃私は別の人生を歩んでいただろう。

今頃は漆黒を抜け出して、光の道を歩いていたかも知れないし、
漆黒どころか、地獄に落ちていたかもしれない。

もしも、ifの世界のことを考えても仕方がない。

何であろうと、私は18件目のバイト先を選んだのだから。

採用されたのはとある企業のゲームショップ。
全国に10店舗以上の店舗を持つグループだった。

そして、バイト初日の日がやってきた。

しかし私はまだ、漆黒の道を抜けてなど
居なかった。
暗闇は、どこまでも続くー。
まるで出口が無いかのようにー。

アルバイトを始めて…

アルバイトとは言え、ようやく職を見つけた私は
”生き地獄”から解放された。

肩身の狭い思いをすることなく、外を歩けるようにもなったし、
休日も心からリラックスして休めるようになった。

バイト先の店長Hも先輩スタッフの方々も皆、
良い方ばかりで親切に物事を教えてくれた。

早い段階で作業を覚えることが出来、
そこでのバイトは順調に進んでいた。

しかし、次第にその”歯車”は狂い始めた。

その時はまだ知らなかった。
そのバイト先に潜む”闇”をー。

バイトを始めてからわずか2か月ちょっとで、
移店が決まった。

と、言ってもすぐ近くへの移店だったし、
これと言って特に問題はなかった。

…が、その時に私は知ることになった。
この店に潜む”闇”を。

私の同期としてバイトを始めた人間は他に2人居た。

そのうちの一人が移店作業中にぼやいた。
「店長が何もしていないのにキレてきて、やってられない」と。

移店作業中、
私は主に新店舗の方で作業をしていた。
そこには本社社員達が主に居たので、
私が移店作業中に、店長Hと顔を合わせる機会はほとんど
無かった。

…が、急店舗の方で店長Hと共に作業をしていた
同期バイトNは、そう言ったのだった。

いつも物腰が低めで、どちらかと言うと優しい印象の
店長Hがそんなことするのだろうか?

そんな風にその時は思っていた。

移店作業は無事に終わった。

しかし、移店作業終了直後、
私の指導役だった2人のうちの1人が突然退職した。

今でもその理由は分からない。

その方は15年間、そのお店でパートをしていた人物だった。

何故、唐突にお店を去ってしまったのだろうー。
移店が気に入らなかったのだろうかーー?

当時はそんな風に思っていた。

だが、今になって思う。
そのベテランバイトさんは、移店作業時、急店舗のほうで
店長Hと共に作業をしていた。

おそらくはそれが原因なのではないか…と。

移店完了後、
次第に空気は変わり始めた。

私は信頼を得ることが出来、
お店のカギを預かることになった。

そして、バイトを始めて1年足らずで契約社員Bという
ポジションにランクアップした。

、と言ってもこの”契約社員B”というのはあくまでも
社会保険に入った人間の事を示すランクであり、
他の待遇はアルバイトとなんら変わらない。

時給もそのままだった。

けれども、その時に
いずれ”契約社員A””正社員”にもなれるよ、
と言われたので、ここで社員になるのも悪くない、
そう思いはじめていた。

しかし、良い事がある一方で次第に不安を感じ始めていた。

そういえば、店長H、全く休んでいないな…と。

そう、店長Hは私がバイトを始めてから、ほとんど
休みなしで働いていた。

聞けば、この会社の店長はどこの店舗の店長も
大体そんな感じなのだとか。

私は不安を感じ始める。
”この会社で、一生を過ごして 後悔しない人生を送ることができるのだろうか”

その時、初めて思った。
”自分で店を作ってしまえば良いのではないかと”

ただ、この時はあくまでも
「遊び半分」「夢物語」の考え方だった。

「いつか店を作ろう」と思いながらも
何の勉強もしなかったし、何の貯金などもしていなかった。

ただ、漠然と夢物語を頭の中で思い浮かべていただけだった。

…時が流れる。

店長Hは変わった。

激しい気分屋で、理不尽な事で怒られたり、モノに八つ当たりしたり、
かと思えば数時間後にはご機嫌だったり、
”情緒不安定”という言葉がピッタリだった。

休みナシの環境がそうさせたのかも知れない。

店長Hは、私がそこのアルバイトになる直前に、店長に出世した人物だった。
元々はアルバイト出身。

だからこそ、最初、出会ったときは まだ店長になりたててで、
心に余裕もあったのだろう。

だが、過酷な店長業務が店長Hを変えてしまったのだった。

店は崩壊した。

表向き、体面だけは整っているモノの、
チームワークはガタガタ。

同期バイトのNは、よく影で不満を口にした。

そして、相次ぐバックレ。
バックレとは、何の連絡もナシに辞めてしまう人のことだ。

同期2人のうちの一人(Nではない人)は、突然店に来なくなった。
先輩バイトSも、冬に休みを取ったまま、そのまま2度と店に来なかった。

そして、バイトを始めて以降、私に指導してくれたり、
時には閉店後に、食事に連れて行ってくれたりと、
何かと気にかけてくれていた先輩バイトのY。

彼も、何も告げることなく、居なくなってしまった。

原因は明らかだった。

店長Hとの対立。

この頃、店長Hは自分の気に入らない人物に対しては
徹底的に冷たい態度を取り始めていた。

店内でお客さんにも聞こえるような声で
「アイツ(先輩バイトYのこと)使えねーなー!」と大声で
言いはじめたり

「お前のやり方が気に入らない」と言い放ったり、
シフトを意図的に減らしたり、、そんなことをし始めたのだった。

先輩バイトYは明るい人物だった。
しかし、彼も次第に追い詰められていった。

そして、彼は何も告げることなく消えてしまったのだった。

店長Hは何も言わなかった。
自分でも、自分が原因だと分かっていたのかも知れない。

そしてーーー
私の初めての後輩バイトM も餌食になった。

同じように辛辣に当たられ、
1年経たないうちに、バックレでは無かったものの、
突然辞表を提出してやめてしまった。

もはや、店長とバイト間の信頼関係というものは
次第になくなって行っていた。

勿論、上手くやっている人も居る。
私は、八つ当たりや理不尽な扱いをされることはありながらも、
なんとか信頼され、上手くやっていたし、
別の後輩バイトHや後輩バイトFなどは、上手く立ち回り、
過酷な状況を耐え抜いていた。

…そんなギスギスとした環境下、
私が自営業の道を真剣に考え始める出来事があった。

それは、バイト先での忘年会のことだった。

そこで私は決意した。
自営業の道を真剣に考えてみよう、と。

今から思えば、愚かだったのかも知れない。
けれども、、もう戻れない。

転機が訪れる…

転機。

それは突然訪れるー。

私が自営業を本格的に目指すと決めた
”転機”は確かにそこだったー。

忘年会の席。

忘年会もだいぶ進み、
皆、食べることにも、飲むことにもひと段落がついたころ。

騒がしい店内で、バイト同士、将来について
話し合っていた。

”将来どうするのかー?”

確かに、皆、ずっとアルバイトのままいるわけには行かないし、
学生さんは卒業すれば、就職して別の道へ進むだろう。

そう、いつかは皆 去りゆく運命にある。

警察官ー。
ゲームメーカー。
漠然とした夢。

それぞれが想い描く未来を語る中、
私は
「いつか自分で店を持ってみようと思っています」

そう言った。

この頃はまだ何の勉強もしていなかったし、
具体的なビジョンがあったわけでもなかった。

ただ、漠然とした目標。

忘年会の席だけの戯言だったかもしれない。

だが、
先輩バイトIは、とても関心し、
褒め、そして応援してくれた。

周りの先輩たちも同様だった。

正直なところ、ここまで興味を持たれるとは
思っていなかった。

いやー
実際には興味など無かったのかも知れない。

でも、当時の私には、周りが興味を持ってくれているように見えたし、
応援してくれているようにも感じた。

勿論それは、社会人としての常識”社交辞令”だと言うのにー。

その日から私は決心した。

本気で自営業を目指すと。

以降、少しずつお金を貯めはじめたり、
少しずつ勉強を始めたり、
真剣に自営業の道を模索するようになった。

戯言 から 本気 になった瞬間はココだった。

しかし、お金はそう簡単に貯まるものではないし、
仕事をしながらの為、勉強もそう簡単に進むモノではない。

「まだ先の話だな・・・」
そんな風に思いながら、準備は消極的に進んでいた。

それからは何となく時が流れて行った。

先輩バイトIを含む、先輩たちは次々と退職していき、
いつの間にか自分自身が一番古株のバイトになっていた。

入ってから3年ちょっと。
そんな間にすっかりベテランバイトになってしまったのだった。

そして、3年という月日は、店長Hを変えるには十分過ぎるほどの
時間だった。

後輩のバイトは次々とバックレ、退職。

一部の気に入られたバイトスタッフと、
耐えられるバイトスタッフだけが残った。

そう、店長Hはすっかり変わってしまっていた。

数時間ごとにコロコロ変わる機嫌。
仕事に来てないと調子悪くなる、などと言いはじめ、
休日を自ら返上し、
さらにはバイトスタッフに対する好き嫌いも激しさを増していた。

正直、私は嫌気がさしていた。

悪い人ではない。
しかし、過酷な環境が店長Hを変えてしまっていた。

次第に、片づけが出来なくなっていった。
バイトのシフト作成も遅くなっていった。

ピリピリしている時間が増えてきた。

もはや、店長Hのストレスは限界だったのだろう。

そして、その八つ当たりの矛先は
私にも向いていたし、後輩バイト達にも向けられていた。

もう限界だった。

辞めるかーーー
それともーーーー?

そんな風にも考え始めていた。

最初の頃は、バイトに行くのが楽しかった。
自分の好きな業種でもあったし、
周囲の先輩たち、そして店長Hとも上手くやっていた。

しかし、この時は違った。
毎日バイトに行くのが億劫で仕方が無かった。
仕事が嫌なわけではない。
店長Hから繰り返される小言や嫌がらせ、
そしてきつく当たられている後輩バイトを見るのが
心苦しかった。

…苦しみぬいた末、私は本社社員に相談した。

本社社員はしっかりと私の話を聞いてくれた。
そして、頷いて一定の理解を示してくれた。

これがどのような効果を出したのかは分からない。

だが、まずは店長Hに休んでほしい。そう願った私は
そのことを中心に本社社員に伝えた。

そして、結果、店長Hは週に1、2回しっかりと休むようになった。

休むことにより気持ちに余裕が生まれれば、
また店長Hは最初の頃のような、雰囲気に戻るかも知れない。
そう考えてのことでもあった。

しかし甘かった。

変わってしまった人間は簡単には戻らない。

そして、私はさらに疲弊していった。

もう限界。

第2の行動を起こそうとしているその時だった。

「……来月で異動することになった」
店長Hはそう言った。

突然の事だった。

これからもずっと、気分屋の店長Hに振り回されるものだと
思っていた。

しかし、転機は突然訪れた。

店長Hが異動する。

異動が決まってからの店長Hは穏やかだった。
店長Hにも何か思うところがあったのだろうか。

後任としてやってくるのは別店舗でチーフを務めていた
店長F。店長H曰はく、やり手の方だとか。

そして、店長Hと仕事をする残りの日々は
あっという間に過ぎた。

随分と気苦労してきた分ー
ホッとした気持ちもあるー。
けれども少しだけ…。

そして最後の日
「本当に助かったよ ありがとう」

そんな店長Hの言葉で、店長Hとの仕事は締めくくられた。

面接で十数件落とされた私を採用してくれたのは
他ならぬ店長H。

その点では感謝してもしきれない。

あの時、採用されていなければ別の道を進んでいただろう。
恐らくは同時に採用連絡が来ていた19件目の面接先で
バイトを始めていただろう。

その先にどんな未来が待ち受けていたのかは分からない。

名残惜しいー
安心感ー

そんな感情が混ざり合う別れとなった。

そして翌日ー
後任の店長Fと私は初めて対面した。

この時、既にバイトを始めてから3年半以上が経過していた…

次に進む道…

新しくお店にやってきた店長F。

店長Fによってお店の環境は変わった。
そこで働くスタッフたちに活力が戻ってきた。

積み上げられていたゴミが全て処分され、店のスペースが広くなった。

そして、誰もバックレをしなくなった。
誰もやめなくなった。

そうー
店長Fは前任の店長Hとは全く正反対だった。

気さくにスタッフに声をかけ、
気分次第で言うことをコロコロかえることもなく、
人に八つ当たりをすることもなかった。

店長一人で店の環境はココまで変わる。

私はそれを痛感していた。

同時に、私自身も悩みから解放された。

今まで、毎日のように店長に気を使い、
精神的に疲弊しきっていた。

始めは楽しくできていたバイトも、
苦痛でしかなくなって来ていた。
勿論、それを表に出す事はしなかったけれどもー。

だが、店長Fの代になってから変わった。
再び、楽しくバイトが出来るようになった。

仕事は決して楽しむモノではない。
お金を貰うためのモノだ。

けれども、同じお金を貰うモノであっても、
楽しみながらできれば仕事の効率は上がるー
そして、自分自身の精神的にも、その方が良いのは
明らかだ。

この店でバイトを始めたときのような感覚。
私は店長Fの代になって、再びそれを噛みしめていたー。

しかし、
その時から別の不穏な空気が流れ始める。

それは”閉店”の影。
店長Fはことあるごとにぼやいた。
「そろそろまずいかもしれないな」と。

私がバイトをしている勤務先の
グループは全店で”赤字”だった。

そして、既にその会社はとある会社のグループ傘下に
置かれてしまっており、親会社の言いなり状態でもあった。

そして…
東北と九州にある店舗が閉鎖された。

親会社主導による不採算店舗の閉鎖が始まったのだった。

しかしながら、残存している店舗は黒字の店舗も多く
「まだまだここは大丈夫だろう」

そんな風に思いはじめていた。

今から思えば、それは親会社の狙いだったのだろう。

私のバイトしていた店舗はゲームショップ。

今、ゲームの業界は衰退を続けている。
例え、今現在黒字であっても数年後、いや、1年後には
どうなっているか分からない。そういう業界だった。

それゆえ、パソコンを専門とする親会社にとっては、
早くこの系列店舗を全て潰したかったのかも知れない。

店舗数が減った故に、
”管理費”という名目の費用が引き上げられた。

これは、私のバイトしている会社の本部の管理費用だ。

本部はモノを売っているわけではない。
しかしながら当然、家賃もかかるし人件費もかかる。

だからこの会社では、各店舗から「本社管理費」という名目で
費用を引き、本部の維持費としていた。

まぁ、本部を維持するためには当然必要な費用だろうし、
これは普通のことだ。

しかしながら、東北と四国の店舗が潰れたことにより、
各店の負担が増えた。

そして、負担が増えたことにより、再び赤字に転落する
店舗が数店現れるーーー。

親会社は容赦なく、赤字転落した店舗を潰した。

そして、更に店舗は減り、更に各店の”本社管理費”は
増えて行った。

そんなある日のことだったー。

本部長が私の勤務する店に
”重要な話がある”と、翌日やってくることになった。

店長Fは言う。
「あの人が来るときは、たいていロクな話ではない」と。

閉店かー。
それともー?

嫌な予感がよぎる。

私が冗談めいて
「もしかして(自分が)クビにされるんですかね?」と言うと、

店長Fは
「もし○○がクビになるんだったら、俺もふざけんなって言って
 やめてやる」

そんなことを言っていた。

冗談だとしても、心強い言葉だった。

そしてーーーー
本部長はやってきた。

結論は
店長Fの異動だった。

元々、店長Fがチーフをしていた店舗の売上が、
店長Fが去って以降、激減したのだとか。

その結果、店長Fがその店舗に引き戻されることに
なったのだった。

さらにーーー

「店長をやらないか?」
本部長は私にそう言った。

既にバイトを始めて、4年半以上が経過していたタイミングだった。

店長Fは言っていた

「この会社はおすすめしない」と。

店長Fは会社の裏事情をよく話してくれた。

その話は”ブラック”と評するには十分な内容も
含まれていた。

だが、私は店長の仕事を引き受けることにした。

いくつかの条件を本部側に掲示してーーー。

その一つが
”いつかは独立を考えている その時が来るまでしか
店長はできない”というもの。

それでも、大丈夫だから。

ということで、私は店長の仕事を引き受けた。

アルバイトとして入って4年半。ようやく社員へと出世を果たし、
アルバイト生活に終わりを告げたのだった。

だが、この会社の店長は激務。
朝9時ぐらいには出勤し、帰りは閉店後の22時。
それ相応の”覚悟”も必要だった。

しかし、店長経験を積むことは必ず
自営業として独立するときの糧となる。

会社が社員を利用するのであれば、
私自身も会社を利用すれば良い。練習台として…。

そう考えて、私は店長の座を引き受けたのだった。

そして、店長Fとの別れの日がやって来た。

店長Hから店長Fに交代してからわずか10か月のことだった。

しかし、この10か月は、私の社会人人生の中でも
最も充実していた期間だったと思う。

全ては、店長Fの人柄によるものだろうー。

「ありがとうございました」

私は、心からの感謝をこめて、店長Fと握手を交わした。

翌日から、私は店長の立場になった。

一瞬、明るさを増していた 私の人生と言う名の道は、
この時から再び暗闇へと突入していくのだった。。

店長になって…

店長になった私は、
仕事時間が大幅に増えた。

朝9時には出勤し、帰りは夜の22時。

勿論、世の中にはもっと激務な方もたくさんいる。

私はそう考えて、まずは店長業務に慣れることを第1に働いた。

時には異動した前任の店長Fと連絡をとりながら、
助言を仰いだりし、徐々に店長業務に慣れていった。

店は比較的うまく回っていたと思う。

何故なら、最初の店長、
店長Hの代に、どんな事をされるとアルバイトスタッフが
嫌な気持ちになるか。
これをよく理解していたからだ。

そういう意味では、店長Hとの日々も無駄ではなかったのかも
知れない。

だが、店長となった私には”別の試練”が待ち構えていた。

それはー、
店長故の苦しみー。

店長Fの時代から薄々分かっていたことではあったものの、
やはり”閉店”の波が押し寄せていた。

私が店長に着任したあとも、容赦なく店舗は潰されていった。

四国にあった店舗が消える。
九州にあった店舗が消える。

店舗は次々と淘汰されていった。

恐らくは親会社の描いたシナリオ通りだったのだろう。

私と同じ時期にアルバイトから店長に出世した、
店長のIという人物が居た。

私は一度も面識が無かったものの、
同期の店長として、何度か相談をしたり、
話をする機会もあり、なんとなく親近感を感じていた。

と、いうのも、他の店長は皆、40代前後。

20代の私は異色の存在であった。

私は色々な新しい企画などを打ち出し、それによって、
本社の上層部から褒められたりすることも多々あった。

そのせいだろうか。

周りの店長からは白い目で見られているような、
そんな雰囲気を私は感じていた。

古株の店長からすれば面白くなかったのだろう。

そんな中で、同期である店長Iと繋がりを深めておくことは
自分の今後にとってもプラスになると考え、
積極的にコンタクトをとっていたのだった。

しかし、、彼は店長になって1年足らずで淘汰された。

四国にあった1店舗。
彼が今、どうなっているのかは分からない。

そして、気づけば、
残っている店舗は関東のみになっていた。

私の店舗も含めて8店舗。

当初20近くあった店舗は半分以下の数に減ってしまっていた。

そして、店舗が減るにつれて、
本社管理費が大幅に増えた。

増える本社管理費は各店を圧迫した。

これも親会社のシナリオなのだろう。

親会社は、私の勤務するゲームショップを全て
閉店したがっている、そんな噂も聞こえてくるぐらいだった。

親会社が打ち出す企画は、どれも的外れのものが多く、
わざと閉店に追い込もうとしているのではないかー?

そんな風に思えるほどだった。

それでも、私はなんとか上手く立ち回り、
店の黒字の状態を維持した。

だが、勤務先の会社は”黒”だった。

残業をしても、ほとんど残業代などでないし、
休日出勤しようがしまいが、休みの日は休みの日として
扱われる。

その上で本社社員は言う
「休んでいる暇などあるのか」と。

しかし、私は休んだ。
週休2日で休み続けた。

その代わりとして、出勤日には素早く仕事をし、
そこそこの実績も上げていたため、
本社も何も言わなかった。

実績を上げる人間に対しては優遇し、
上げない人間に対してはゴミを見る目で接する。
そんな会社だったのだ。

私は、会社に媚を売ることもなく、
程よい実績を上げることで、
黒い企業に対して、せめてもの反抗をしていた。

サービス残業などしない、、と。

今でも思う。
黒い企業の中で働く人間は、
自らも「悪知恵」をつけなくてはならないと。

純粋すぎる人間は、黒い企業の中で、
身も心も壊され、ダメになってしまうからーー。

黒には黒で対抗する。

それが黒い企業に勤めて私が学んだことだった。

そして、時は流れた。
店長就任から1年近くが経過したころ、
残る8店舗のうちの2店舗が閉鎖された。

残るは6店舗。

そして、本社管理費はさらに上がり、
ついに私の店舗でも赤字の月が出るようになった。

この時、私は閉店を覚悟した。

そして、自営業への独立を強く意識し始め、
勉強のペースも、貯金のペースも急激に上げることにした。

追いつめられて初めて私は、自営業への道を
本当に、心の底から考え始めたのだった。

しかし、諦めるわけにも行かなかった。

私が気がかりだったのは、
アルバイトスタッフさん達の事。

突然、店が閉店になれば、バイトとは言え、
途方にくれるだろう。

元々、私はこの時点(2015年)の2年後には
独立する予定だった。

そう、ちょうど、今この文章を書いている2017年春の
独立を目指して動いていた。

だから、せめてそこまでは店を維持しよう。

そう、考えていた。

だがしかしー現実はそう甘くはない。

2015年春の会議で告げられた。

「今年、利益が改善されなければ
この2店舗は閉店する」と。

その2店舗とは
私の店舗 と前任の店長Fが異動した店舗だった。

「…厳しいなぁ…」
店長Fは会議の帰路でそう呟いた。

だが、私はその日以降、意地になった。
あらゆるセールやキャンペーンなどを展開し、
利益を伸ばすことに注力した

親会社の思い通りにはさせない。
そういう意地があった。

そしてーーー
2016年になったころ、
店舗の閉鎖が決まったーーー。

閉店になったのは、
1店舗だけだった。

そう、店長Fの店舗だった。

私の店舗は、閉店の通知を覆し、
翌年も残存することになったのだったーーー

お世話になった店長Fは、その店舗の閉鎖に合わせて
退職した。

自分の店が生き延びたことは素直に喜ばしいことだった。

だが、店長Fが去りゆくのを見て、
私の心中は複雑だった。

そして、
”自分もじきにこうなる運命にある”

そのことを強く痛感したのだった。

閉店を迎えて…

店長Fの店舗が閉店し、
私はさらに追い詰められた。

残るは5店舗。

勿論、店舗が減ったことで”本社管理費”はさらに上がった。

もはや、店を維持できない。

私は2017年の春に、円満退職して、
万全な準備をしたうえで独立する予定を立てていた。

そして、ちょうどその時期に、就職活動を終え、
バイトを辞めるアルバイトスタッフさんが何人か居たので
良い区切りでもあった。

それまで何としても持たせてみせる。
そう心に近い、私は今まで以上に色々な策を講じた。

もはや免れることのできない閉店。

しかし、”延命策”を講じることで、延命することはできる。

元々、2015年あたりから閉店候補に名は上がり続けていた。

けれども、何度も、何度もそれを覆しここまでやってきた。
最後に今一度、延命の力を。

…が、そう上手くはいかなかった。

店長Fは私が店長になった後も、何かと気配りして
下さっていた。
その店長Fが退職してしまった今、私は頼るべき店長を失ってしまった。

それに加えて、
親会社は更なる無理難題を現場に押し付けた。

ここでは細かい説明は省かせていただくが、
とある理由をつけられ、月々の利益から引かれる費用を
さらに上乗せされてしまったのだ。

更にー。
大家と本社の交渉により、月々の家賃も上がることが決まった。

何故、こうも次から次へと、
店を苦しめようとするのかー。

私は絶望しながらも懸命に抗い続けた。

しかし、光の届かない場所でいくらあがいたところで、
決して光が届くことはない。

2016年8月ーーー
ついにその日はやってきた。

「今日、大事な話があるからお店に行っていいかな?」
本部長はそう電話で告げてきた。

私は覚悟した。
恐らくは閉店が決まったのであろうとー。

閉店と言う名の
お店にとっての”終焉”から、逃げようともがき続けた
2年間。
それが終わる日が来たのだと。

勿論、本部長はこの時点ではまだ私に何も言っていない。

しかし、店長Fの言葉が思い出される
”あの人が来るときは、良い話ではない”

そう、お店に来ると告げてきたのは、
私に店長をやってみないか?と誘い、
店長Fの異動を告げた本部長だった。

そしてやってきた本部長は、
私をお店のすぐそばにあるファミレスへと誘った。

この時の事は今でも忘れはしないー。

夕暮れ時の中、
夕日が眩しく光り輝くあの日ー
私はファミレスで告げられた。

「---結論から言うと、お店の閉店が決まった」

ーーーーと。

不思議と私は何も思わなかった。

何故だろう?
既に覚悟していたからー?
それとも、衝撃で何も考えられなかったからー?

答えは、今でも分からない。

ファミレスの窓から見える私が店長を勤める店。

そこではまだ何も知らないアルバイトスタッフさんが
働いている。

「---そうですか」
私は短くそう答えたのを覚えている。

注文していたドリンクを飲む手が早まった。

ついに終わってしまったという脱力感。

長年の毎月のように神経をすり減らして
延命処置を繰り返してきた。

それが終わることに対する安心感。

色々な感情がようやくこみ上げてきた。

私は、この時、話を聞きながら覚悟した。

”ついに独立の時がやってきたのだと”

私は2016年に入り、店長Fの店舗が閉店した際に
もう長くはお店が持たないことを覚悟していた。

それゆえに、2016年に入ってからは
急ピッチで勉強を進めていた。

この閉店の話が来たときには既に
十分な知識は蓄えていたし、
独立できるだけの資金も何とか集まっていた。

そして、その覚悟もー。

ホームページなども既に準備完了していたし、
あとはより多くの資金を集めておいて最終調整ー
という段階まではかろうじて到達していたのだった。

本部長からは別の店舗の店長にならないか?というお誘いや
親会社のとある部署への異動などの話もあった。

そのままその誘いを受けていれば、
自営業にはならずに、
一気に契約社員から正社員にもなれていただろう。

だが、親会社のとある部署、というのは
関係者曰く、”軍隊のような部署”で、
黒い企業の中の黒の部分の中心ともいえる場所だった。

かつて閉店した店舗の店長はそこに異動した。
しかし、精神が持たず、退職してしまったのだと言う。

そして別店舗の店長への打診。
これも断った。
何故なら、私の店舗が閉鎖することにより、
さらに”本社管理費”は上がる。

もう、どこの店舗に行こうと同じ事なのだー。

親会社は、私の勤務していたゲームショップのグループを
完全に畳むことを計画している。

それだけは明らかだった。

どこの店舗に鞍替えしようとも、結局は終わる。

一度沈み始めた船はもう2度と浮上することはない。
後は完全に沈没するのを待つのみー。

加えて、アルバイトスタッフさんとは長い間
共に働いてきた。
何人かは私が店長になる前、バイト時代から一緒に
やってきたスタッフたちだった。

そんな彼らのバイト先を守ることが出来なかった上に、
自分だけ助かる、そんな道を選ぶこともイヤだった。

別に綺麗ごとで言っているわけではなく、
私は本当にそう思った。

だから、私は誘いを断った。

そして、閉店日が告げられる。
閉店までは1か月しかなかった。

ファミレスから戻り、私はその日、店にいたスタッフに
閉店を告げた。

残りのスタッフも、次のバイト先を探す都合なども
あるだろうから、全員にメールで閉店を告げた。

驚くモノー
本社の決定に不満を抱く者ー
特に何の感想も持たない者ー

反応は様々だった。

だがーーー
閉店の一連の流れで私が一番つらかったのは
この連絡だろう。

ーなぜなら、彼らの日々の生活を
守ることができなかったのだからーー。

勿論、前任の店長Fにも連絡した。

店長Fからの返事にはこう書かれていた

「長い間お疲れ様ー」
と。

そして独立へ…

閉店が決まったその日から、
私の独立のための準備は急ピッチで進んだ。

物件探し、古物商などの資格取得、
備品集め。

色々な作業に追われることとなった。

それと並行して、
店長を勤めているお店の閉店準備。
これもしなくてはならない。

お店にあった膨大な商品在庫を他の各店舗に送る準備も
進めなくてはならないし、
各種申請の取り消しや返却物の返却などなど、
やることはいくらでもあった。

2009年7月にスタートしたこのお店でのアルバイト。

体質上、
十数件の面接に落とされて、精神的にも
生き地獄を味わったあの日々から引き揚げてくれたのが
このお店だった。

しかし、退職するまでに数々の黒い部分に直面した。
数々の嫌なやり取りなどもあった。

店長Hの疲れから来るであろう、八つ当たりや横暴な行為に
苦しんでいた日々。

2013年、店長Hが異動となり、
やってきた店長Fの元、楽しく過ごすことができた1年間。

そして2014年から店長としてやってきた2年半。

思えば、長い時間をこの職場で費やした。

それが終わるー。

どんな気持ちだったかと言われれば、
正直なところ、あまり実感は無かったし、
寂しいだとか、そういう感情もあまりなかった。

閉店までの1か月間はあっという間に過ぎ去った。

最終日。
この日も、特に変わらずいつも通り、営業をし、
いつも通り閉店の時間を迎えた。

スタッフとの会話もいつも通り。

そう、閉店と言う実感がないまま、
閉店の日を迎えたのだった。

何故だろうかー。

思うに、やることがありすぎて、
それどころではなかったのかも知れない。

店長を務めている以上、
店の閉店作業はしっかりとやりきらなくてはならない。

1か月という短期間であったから、なおさら時間が無かった。

私の店舗が閉店を迎える半年前、
前任の店長Fの異動先であった店舗が閉店したとき、
店長Fは言っていた

「あっという間だった」・・・と、
やることが多く、ドタバタしていてそれどころでは
無かったらしい。

私の場合、それに加えて、自営業を始めるための準備を
進めていた。

閉店が決定したのが8月。
最終営業日が9月19日。

その19日の時点では、もう既にテナント契約の交渉を終え、
鍵を受け取っていた。

今でも思い出す。
あの1か月間を。

店の仕事をしながら、タイミングを見て、
近くの不動産屋などにも通い、
各種申請を休日に行う。

確かに忙しい日々だった。

でも、不思議と、あの1か月間は楽しかったような
気もする。

店が無くなると言うのに、楽しんでいる、などと書くと
不謹慎な気がするけれども・・・。

7年間ー
変化のない日々を送ってきたからかも知れない。

ようやく、止まっていた時計が動き出すー。

そんな感覚だったのかも知れない。

閉店日の翌日から、片づけの作業が始まった。

長年を過ごしたお店は、
あっという間に形を変えていった。

作るときは時間がかかるーー
けれども壊れる時は一瞬。

このことを改めて思い知ったのだった。

閉店作業中、
電話で最初の店長だった 店長Hと送る物品について話をした。

会話は事務的な会話だった。

”何を何個送りますか?”

”○○も貰えるかな?”

そんな感じの内容だった。

そして、この時の会話が店長Hとの最後の会話になった。

もう、これから先の私の人生で
店長Hとは会うこともないだろうし、
話すこともないだろうー。

最後の会話はあまりにもあっけなく、
そしてあまりにも印象の薄い会話だったー。

片付きゆく荷物。

そして9月28日ごろには、ほとんどの作業が終わっていた。

あとは産業廃棄物の業者が廃棄物を運びだし、
それでほとんどの作業は終了となる。

狭い店舗だった。

パズルゲームかのように、あれだけモノがぎっしり
詰められていた店舗はスカスカになっていた。

夜、帰るときにセットする警備装置の起動音が、
店内に響き渡る。

今までは障害物で音が邪魔されていたのだろう。

この時の音はとても透き通って、
いつも以上に響き渡っているように感じられた。

そして、29日。
全ての荷物の運びだしが終わった。

もう、この日以降、アルバイトスタッフさんも
一人を除いて出勤を終えていた。

その一人は、店長Hの時代から、
共に仕事をしてきた重鎮バイトだった。

彼も、これからは別の道を進むのだろうー。

翌日。

全ての作業が終わった。

もう、店には何もない。

あるのは、床と天井、壁だけだった。

9月30日ー。
私は、その日で会社を退職する。
アルバイトから始まり、店長までステップアップした、
それが全て”0”になる瞬間だった。

最後の作業は午前中に終わった。

半月ほど前まで活気に満ち溢れていた店内は
”抜け殻”のようになっていた。

もう、何もない。

間違いでは無い。
あのお店は消えてしまった。

もう、そこには何もない。

そして空になった店を後にし、鍵を返却する。

最後に残った本部長に
「今までお世話になりました」と伝え、
本部長はそれに応じ、立ち去って行った。

この瞬間、私は退職となり、
自営業者となったのだった。

私の独立する店舗は、閉店した店舗の反対側のとおり。
徒歩1分の場所だ。

閉店した店舗が何に変わってゆくのか。
どのように生まれ変わってゆくのかを見ることもできる場所だった。

本部長と別れの挨拶を済ませた私は、
反対側にある、自分の新しいお店へと入った。

まだほとんど何もない空間ーー

今日から、ここでの新しい日々が始まる。

真新しい空間で一人。
今までとは違い、今度は誰も居ないーーー。

この日から、
私は11月のオープンを目指して、
日々準備を始めることになるのだった。

成功すれば天国、
失敗すれば地獄ーーー

過酷な自営業の世界に私が足を踏み入れた瞬間だった。

最後に…

私が雇われ店長から、自営業を目指すまでを綴った文章でした。
数年前に書いたものですが、今もそれぞれのことを
鮮明に思い出します。

色々ありましたが、このような経緯で、
独立に至ったのは事実です。

この、2016年の独立から既に2年ちょっと。
まだまだ苦難の道は続きますが、
やれることを、しっかりとやって、行きたいと思います。
自営業は、厳しい世界です。
けれども、もう後戻りはできないのです。