空港タラップ問題から考えること”やってもらって当たり前はダメ”

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店員Kです!

空港で車いすの方が自力でタラップを上がったという問題が
ニュースになっていますね。

店員Kにも(車いすの方に比べれば全然軽いのですが)ある障害があり、
やはり周囲に迷惑をかけてしまうこともあります。
障害を持つものとして、今回の件には「?」と思う事もあるので
それも併せて書いていきたいと思います。

今回の件について。
色々と大変だったと思います。

私は車いす生活ではありませんし、
その大変さは計り知れないものがあると思います。

が、今回の問題で一つ引っかかるのが、
こういうケースの際に
(今回の方がどうだかは分かりませんが)
「予約時に事前にちゃんと知らせていたかどうか」です。

もしも万が一、事前に知らせることなく、
いきなり空港を訪れたのだとしたらそれはちょっと
図々しいと、個人的にはそう思います。

私自身、車いす生活の方に比べたら全然、健康なのですが
ある障害があります。

それは、日差しに当たると、皮膚が湿疹だらけになってしまい、
火傷状態のようになってしまうという症状。

なので、外を歩くときにはUVカットサンバイザー(黒いヤツ)とか、
そういう防具をしないと、歩くこともできません。

今日は
何らかの”ヒトとは違う障害”を持つことについて語って行こうと思います

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人とは違う部分…

これは今回のタラップ問題の方のように足腰が不自由な場合、
私のような日差しに全く当たることのできない体質、
他にも色々な種類の不自由な部分を持つ方がいらっしゃると思います。

どの方も大変だと思いますし、
苦しことと思います。

人と違う部分を持つ、ということは大変なことですからね…。

私は中学時代にこのような症状になりましたが
体育の授業には出ることはできず、
学校行事も一部は参加できず、
また、就職活動の際にも非常に不利になりました

ただ、それは当たり前のことです。
”日に当たれない”なんて言われたら、普通「不採用にしよう」
って思いますからね。
私が採用側でも恐らく落とすでしょう。

まぁ、そんなこともあり、最終的に自営業という道を選んだわけです。

なので、人とは違う部分を持っている、と言うことは
大変なことですし、色々と不便な部分も出てきます。
周囲に迷惑をかけてしまうことも多いですしね…。

「当たり前」になっていないか?

ただ、障害を持つものとして気を付けたいことは
「やってもらって当たり前」になっていないか、ということですね。

障害を持つ方に配慮する、
これは必要なことだと思います。

ただし、障害を持つ方にも二通り居ます。

周囲に助けてもらったことを感謝し、
なるべく周りに迷惑をかけないようにふるまう人。

一方で、

自分は障害を持っているから、周囲が自分を労わるのは
当たり前だし、多少のわがままは許される と

思っている人。

2つに分類されると思います。

障害を持つ方の中にも、
とても横暴な方が居ます。

私の前の勤務先でもいました。

車いすでお店にご来店された方が、
道をふさいだ状態で(少しずれれば開けられるのに)ずっと
他の方と話し込み、
子供に「通りたい」と言われた時に舌打ちをした方だとか、

「ちょっと手が不自由だからこれ持っておいて」と
買い物袋を店員に押し付け、最後にはお礼も言わずに
その袋を雑にとって帰っていた方とか…

そういう方も居ました。

これは・・・勘違いも甚だしいと、
私個人としては思います。

誰も、障害を持ちたくて障害を持つ人は居ないと思います。
悔しい、苦しい、そういう気持ちも分かります。

ですが、手伝ってくれた人への感謝や、
周囲に対する配慮まで忘れてしまっては、
バリアフリー云々以前に、人として問題だと思うわけです。

感謝の気持ちを持つ

言い方は悪いですが、
例えば、私が、とある病院に行って、日差しが病室に入っていたので
カーテンを閉めてもらったとしましょう。

しかし「私」がその病院に行かなければ
その病院は「わざわざカーテンを閉める」ということをしなくて済んだのです。

この時点で”手間”を相手にかけているわけです。

なので、もし私の体質を知っている方がそのような配慮を
して下さった場合、当然、私は感謝の言葉を口にしますし、
申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

私の場合は、病院や飲食店などを利用する際には
「そのお店に迷惑をかけないように」事前に日当たりを確認してから
「日の当たらない時間帯」に行くようにしています。

そうすれば、お店側にも迷惑をかけませんからね。

そこまでする必要があるのか?と思う方もいるかもしれませんが、
障害を持つ人間としてこちらが利用するお店や施設に配慮する心を持つこと。

これはとても大切なことだと思いますよ。

相手を思いやる気持ちを持たず、
ただただ相手に対して「自分を気遣え!」というオーラを出すのは
間違えだと、そう思います。

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今回の件の場合

今回の件の場合、
”予約の際に予め伝えていたか”は重要だと思います。

(事実はどちらか分かりませんので、今回の件に限らず書くと)

空港によっては
「車いすの場合は事前に連絡」が必要とのこと。
色々と不自由な方のサポートの為の下準備も必要ですからね。

なので予約の際に伝えていたのであれば
空港側の落ち度でしょうし、
伝えていなかったのであれば
「配慮してもらって当たり前」だと思っていた側にも
落ち度はあるでしょう。

”事前連絡”必須の場所に連絡もせずにやってきた方が、
突然、自分の権利ばかり主張し始めたら、、
問題ですよね?

「やってもらって当たり前」

もし、こんな風に思っている方が居るのならば、
やはり問題です。

私もそうですが、
自分の体質上、相手に迷惑をかけそうな場合は、

・相手に事前にしっかりと連絡して、伝えておく。

・常に「やってもらってあたりまえ」ではなく
 やってもらったことに対して感謝する

これは絶対に大切です。

今回の問題に関しては、どちらがどうこう、と
私は現場に居たわけではないので、何も言えません。

…が、何らかの不自由な面を持つ人間が、
「自分は横暴になりすぎていないか」
「やってもらって当たり前になっていないか」
ということを考えるのには良い機会だと思います。

個人的な感想 余裕を…

今回の件の個人的な感想、、
(あくまで個人的な感想です)

空港予約の際に車いす使用をあらかじめ伝える必要がある空港だったのか、
そしてその場合、利用者様の方は空港にしっかり伝えてあったのか。

これはちゃんと確認して、事実をしっかりと伝えた方が良いと思います。

今の時点の報道では空港が悪者です。
(もちろん、もう少し柔軟な対応を、という意見も分かります)

が、もしも事前連絡が必須なのに、連絡せず、当日いきなり現れて、
騒いでタラップをあがったのだとしたら、
これは正直なところ「やってもらって当たり前」になってしまっていると
言わざるを得ません。

(搭乗拒否はやりすぎかもしれませんけれど)

もしも必要な事前連絡を怠って、いきなり現れて喚かれた挙句、
悪者扱いにされているのだとしたら、空港側も気の毒です。

このことまでちゃんと調べて、
空港が悪いのであれば悪い、
事前連絡が必要であったのに、もしもしていなかったのであれば
その点は利用者側の方も非を認める。

それが大切だと思います。

ただ、お互いにもう少し余裕を持って相手に接することが
できれば今回の問題は起きなかったのではないかな、と思います。
(予約時に事前通達必須なのであれば、してない側が問題ですが)

最後に、報道の文で一つ引っかかることがあるのですが…

「多くの空港を利用してきたが、連絡なく車いすで行ったり、
施設の整っていない空港だったりしても
「歩けないことを理由に搭乗を拒否されることはなかった」

と、利用者側のコメントがあり、
ちょっと「やってもらって当たり前」になってしまっているな…
という感じは見受けられました。
相手の事を考えるのであれば、やはり”ある程度の手間”は相手にかけるでしょうから
私なら、事前に連絡します。

なんというか、
利用してきた”多くの空港”に対する感謝の気持ちが伝わってきません…。

私は全然軽度ですが
”ヒトとは違う” 障害を持つ身として、

(今回の件は真偽は分かりませんが)
感謝の気持ちを忘れてしまって、当たり前になっている人を見るのは
あまり気分の良いものではありません

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